親子だって、別の人間。深く理解しあっていることもあれば、どうしても理解のできないこともあるかもしれない。しかもそれが義理の親の場合、「理解できない」比率は多くなるのも当然で、特に「義母」との問題には悩みの声が多く寄せられる。

義母の謎の行動に長く悩んでいたのが、フリーライターの上松容子さんだ。結婚前に夫の実家を訪ねた時、専業主婦の鏡のようにかいがいしく夫の世話をやく義母だったが、結婚式への不満や一緒に料理をするときの言動に戸惑うことが続いたという。孫である上松さんの娘が話しかけても無視することもあった。

連載「謎義母と私」、今回は義母への疑惑が決定的になった、義父が病に倒れた時の話をお届けする。なお、個人が特定されないように上松さん自身もペンネームであり、登場人物の名前は仮名としたドキュメンタリーである。

容子    20代後半で結婚。現在50代
夫     容子と同い年。営業職
明子    容子と夫の一人娘
義父       東京近郊在住 大正生まれ 中小企業社長
義母トミ子 昭和ヒト桁生まれ 元看護師 専業主婦
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「ああ気持ち悪い」

私たちの結婚から8年後、義父が下咽頭がんになった。外科的治療もできたのだが、声帯を切除することになるので本人が手術を拒み、病状は悪化していった。やせ我慢をするタイプだったので、がんの進行を許してしまったのではないか。

義父は、プライドが高くてわがままではあったけれど、悪辣な人ではなかった。小さいながらも企業を動かしてきた経営者らしく、人を見る目があった。私の夫について、「あいつは生き馬の目を抜くような業界には不向きだ」とマスコミ業界に進むことには反対していた。息子の性格や資質は、しっかり見極めていたのだ。ぶっきらぼうに見えたのは、昔気質で女性や子どもとどう接したらいいか戸惑っていたせいだろう。

義母は週に何回か病院に通っていた。私たちが見舞いに行った帰り、義母が突然吐き捨てるようにこう言った。
「お父さんの首、がんのできたところが腫れて、膿が出てくるんだよ。ああ気持ち悪い。触らなかった」

夫大事の妻ではなかったのか。甲斐甲斐しく夫に尽くしているように見えた人が、病人についてこんなに憎々し気に「気持ち悪い」と言う理由はなんだろう。

義父は間もなく昏睡状態となった。義母は即座に互助会に入った。私たちが見舞いに行ったとき、義父の枕元に義母と親類のおじさんが立って話し込んでいた。葬儀の段取りを話していたのだ。人間、意識がないように見えても、耳は聞こえているという。生きているのに妻が自分の葬式の段取りを組んでおり、それが聞こえているとしたら……? 家に戻ると、義母はいそいそと互助会のカタログを出して話しかけてきた。

いくら意識がないとはいえ、本人の横で普通に葬式の段取りとは…(写真はイメージです)Photo by iStock

「容子さん、私は着物が着たいんだよ。葬式の日は早めに出ないといけないね」
ああそうですか、としか返答できなかった。彼女はもう、通夜と告別式の自分の服装のことしか頭になかった。これまでよほど虐げられてきたのか、夫の容態を気に掛ける様子はまったくなかった。

数日後、義父は危篤状態となった。私と娘は実家に義母と残り、夫が病院に向かった。義父が息を引き取ったと連絡してきたとき、義母は手で顔を覆ってこう言った。

「あああ、終わったー」

涙はなかった。がんの告知を受けて1年、入院してひと月。義父の闘病生活は、こうして終わった。