Photo by Gettyimages
# 野球

未だ破られぬ「史上最速1000奪三振」の藤川球児、グラブに刻んだ「3文字の秘密」

昨年、惜しまれつつ現役を引退した、阪神タイガースのレジェンド・藤川球児さん。そんな彼が、魔球「火の玉ストレート」の誕生秘話から、メジャーでの苦闘の真相まで、すべてを語り尽くした著書『火の玉ストレート プロフェッショナルの覚悟』が出版された。ファンを大いに沸かせた、2016年の阪神タイガース復帰。しかし一時は、本気で引退を考えるほどのスランプにおちいったという。一体どのようにして、スランプを打破したのか? 当時を本人に振り返ってもらった。

不思議な縁に導かれて……

2015年11月、僕は阪神と2年契約で合意し、再びタテ縞のユニフォームに袖を通すことになった。阪神では、FA制度によってメジャーリーグに挑戦した選手が復帰した例は、かつてなかった。

Photo by iStock

仮に、僕が自由契約選手として渡米していたら、日本のプロ野球界への復帰に際しては、以前に所属していた球団、つまり阪神の了承が必要になる。僕が他球団への入団を希望しても、阪神が認めてくれなければ実現しない。復帰できるとすれば、事実上、阪神以外に選択肢はなかった。

しかし、海外FA権を行使して渡米した場合、そうした手続きの必要はない。オファーさえあれば、どの球団と契約しようが、選手の自由だった。実際、僕はいただいた複数のオファーのなかから、阪神を選んだ。僕は、阪神に拾ってもらって復帰したわけではなかった。

そうした意味でも、僕に出戻りという意識はなかった。僕は、前だけを見て1本の道を走り続けたにすぎない。

その過程で、かつて通過した道を通った。そういう認識に近い。同じ道を再び通ることになったのは、そこを通らなければ、僕がめざしている終着点にたどり着けないからだ。

道に迷ってUターンしたわけでもなければ、バックで戻ってきたわけでもなかった。

 

3年前に通り過ぎたとき、僕はもう二度とこの道を走ることはないだろうと思っていた。

しかし、不思議な縁に導かれるようにして戻ってみると、なぜか少し新鮮な印象だった。

まわりの景色は懐かしく、僕の心はやすらいだ。沿道にはたくさんの人たちがいて、僕を待っていてくれた。それは、僕の大好きな道だった。

関連記事