コンピュータ、原子爆弾を開発…フォン・ノイマンの天才すぎる生涯

マッド・サイエンティストの素顔とは?
高橋 昌一郎 プロフィール

ある日曜日の午後、11歳のノイマンと一緒に散歩をしていた12歳のウィグナーは、ノイマンから「群論」を教えてもらったという。

ウィグナーは、後にノーベル物理学賞を受賞することから推測できるように、幼少期から数学も抜群に優秀だったが、群論はまったく未知の概念だった。その当時、ノイマンの数学はすでに大学院レベルに達していた。

この頃、ウィグナーが「おもしろい定理があるんだけど、証明できるかな?」とノイマンに尋ねたことがあった。それはウィグナーには証明できない「数論」の難解な定理だった。彼は、いくらノイマンでも、容易に証明できるはずがないと思って尋ねたのである。

 

するとノイマンは、「この定理を知っている? 知らないか……。あの定理はどうかな?」と、さまざまな数論の基本的な定理を挙げて、ウィグナーがすでに知っている定理をリストアップした。そして、それらの定理だけを補助定理として用いて、遠回りしながらではあるが、結果的にその難解な定理を証明してみせたのである。

さらにノイマンは、ウィグナーの知らなかった別の適切な補助定理を用いれば、もっと簡潔に証明できることも説明してみせた。

自分が難解だと思っていた証明をノイマンがいとも簡単に導いたのを目のあたりにしたばかりか、自分の知識からだけでも証明できたことを思い知らされたウィグナーは、大変なショックを受けた。この日以来、彼はノイマンに「劣等感」を抱くようになったと述べている。

ノイマンとウィグナーは人間の意識によって「量子論的状態」が収束するという量子解釈を提唱した。そこからノイマンが導いたのが、茶目っ気のある名称の「ウィグナーの友人のパラドックス」である。

ユージン・ウィグナー(photo by iStock)

そのうち将軍になるかもしれない!

1937年、アメリカ合衆国市民権を獲得した34歳のノイマンは、第二次大戦開戦が避けられず、しかもアメリカが参戦するに違いないと考えていた。そこで彼は、他の移民科学者には例を見ない、驚くべき行動に出る。

なんと、ノイマンは、アメリカ合衆国陸軍兵器局予備役士官試験を受けたのである。彼は、凄まじい集中力で士官採用試験の準備を進め、1938年3月に実施された「陸軍組織試験」で満点、「陸軍規律試験」でも満点を取り、夏に行われる予定の最終試験に合格すれば、採用リストの最上位で陸軍士官に任命されることに決まった。

しかし、開戦の準備に追われていた陸軍では問題作成が間に合わず、この年に限って、最終試験は半年延期されてしまった。1939年1月、ようやく実施された「士官採用最終試験」でも満点を取って、最優秀成績で合格したノイマンは、「そのうち将軍になるかもしれない!」と妻クララに冗談を言った。

ところが、陸軍士官任用には35歳未満という年齢制限があった。ノイマンは前年の1938年12月の誕生日に35歳に達していたため、彼の申請は却下されてしまったのである。

もし最終試験が予定通り前年の夏に実施されていたら、ノイマンはアメリカ参戦の際に陸軍士官としてヨーロッパの任地に赴いていたはずである。そうなれば、原爆は広島と長崎ではなく、東京に落とされていた可能性が高かったのである!

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