コンピュータ、原子爆弾を開発…フォン・ノイマンの天才すぎる生涯

マッド・サイエンティストの素顔とは?
高橋 昌一郎 プロフィール

幸運な時期に誕生した

ジョン・フォン・ノイマンは、1903年12月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のブダペストで生まれた。

ハンガリー王国は、西暦1000年、ローマ教皇からの王冠授与によって建国されたカトリック教国である。13世紀にモンゴル帝国に侵略され、16世紀にはオスマン帝国に占領されたこともあるが、17世紀に神聖ローマ帝国の一部となって国土を回復した。

その後は国土拡大を繰り返し、最大領域は、現在のハンガリーとスロバキア共和国の全域、さらにクロアチア、セルビア、ルーマニア、オーストリアの一部にまで達している。

 

中央ヨーロッパは古くから「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、今も多民族国家間でさまざまな国際紛争が生じている。しかし、1867年、ハプスブルク家のオーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねるオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立し、それ以降は、この地域に安定と繁栄がもたらされた。

この平和は、1914年に第一次世界大戦が勃発するまでの50年ほどの短期間しか続かなかったが、ノイマンは、この幸運な時期に誕生し、優雅な少年時代を送ることができたのである。

ブダペストは、1873年にドナウ川を挟む西岸ブダと東岸ペストが合併して、ハンガリー王国の新しい首都となった。ノイマンの生まれた1903年、ブダペストの人口は80万人を超え、ロンドン、パリ、ベルリン、ウィーン、サンクト・ペテルブルクに次ぐヨーロッパ第6位の大都市だった。その美しい景観は、当時から「ドナウの真珠」と呼ばれている。

「ドナウの真珠」ブダペストの街並み(photo by iStock)

20世紀初頭のハンガリー王国の小麦粉輸出は世界一を誇り、ブダペストの経済成長率はヨーロッパ第一位だった。パリのシャンゼリゼをモデルに作られたアンドラーシ通りの地下には、ヨーロッパ大陸初の地下鉄網が張り巡らされた。

当初ロンドンの地下鉄を走っていたのは蒸気機関車で、ブダペストの電気式地下鉄は世界でも類を見ない光景だった。街並みには600を超えるカフェがあり、ヨーロッパ最高峰の高等教育で知られるギムナジウムが3校もあった。

後にアメリカ合衆国でノイマンと一緒に「マンハッタン計画」を推進したレオ・シラード(1898年生)、ユージン・ウィグナー(1902年生)そして「水爆の父」エドワード・テラー(1908年生)という三人の物理学者、さらに「暗黙知」で知られる哲学者マイケル・ポランニー(1891年生)、「ホログラフィー」を発明した電子工学者デーネシュ・ガーボル(1900年生)、「放浪の天才数学者」ポール・エルデシュ(1913年生)も、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のブダペストで生まれ、3校のギムナジウムどれかの卒業生である。

天才と呼べるのはただ一人

このなかでノイマンと最も親しくなったのは、ギムナジウムで一級年上のウィグナーだった。

彼は、後にベルリン工科大学のポランニーの下で博士号を取得している。ナチス・ドイツの迫害を逃れてアメリカ合衆国に亡命し、ウィスコンシン大学教授を経てプリンストン大学教授となった。1963年には「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」によりノーベル物理学賞を受賞している。

そのウィグナーが、「なぜ当時のブダペストにこれほど多くの天才が出現したのか」という質問に対して、次のように答えている。

「その質問は的外れだよ。なぜなら天才と呼べるのはただ一人、ジョン・フォン・ノイマンだけだからだ!」

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