気鋭の教育行政官が描く、「教育を変える」ための設計図

新刊『教育は変えられる』推薦エッセイ
苫野 一徳 プロフィール

「みな同じ」から「みな違う」へ

簡潔に、本書の内容を紹介していきましょう。

すべての子どもの「自由」とその「相互承認」を実現するための、最初の思考のステップを山口氏はこう言います。

「みな同じ」から「みな違う」へ。

この150年間、学校教育は、わたしの言葉で言えば次のようなシステムで運営され続けてきました。すなわち、「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを中心に勉強する」システムです。

しかしこのシステムが、いま、さまざまな“学校問題”の最大の要因になっているのです。

みんなで同じことを、同じペースで勉強するから、構造的に「落ちこぼれ」や「吹きこぼれ」が生まれてしまいます。もし自分のペースで、自分に合ったやり方で学ぶことができれば、そんなことは起こらなかったかもしれないのに。

同質性の高い学年学級制は、クラス内の同調圧力を高め、いじめや不登校、空気を読み合う息苦しい人間関係などを生み出してしまいます。

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出来合いの問いと答えを中心にした勉強は、子どもたちに、何のためにこんな勉強をしなければならないのかという疑念や息苦しさを与えてしまいます。

いま、いじめの認知件数は年間で54万件にも達し、不登校傾向にある中学生は全体の10.2%と推計されています。学校の“システム”それ自体が行き詰まっていることは、残念ながら否定しようのないことです。

そこでまず“構造転換”すべきなのが、この何もかもを“みんな一緒”にしてしまうシステムを、一人ひとりに合わせてある程度パーソナライズすることです。

ただし、それは一人ひとりを孤立化させることでは決してありません。「自分で選び決め、探究に浸り」、さらには、「協同して共に生き、生かし合う」。学校をそんな場にしていくことが説かれます。

杉並区などでじっさいに実践されているその具体的なあり方については、ぜひ本書をお読みいただければと思います。

 

子どもを支える人同士の「生かし合い」

では、そのような「みな違う」を前提とした教育に変えていくために、教師をはじめとした学校組織はどうあればよいのでしょうか。

ここでのキーワードとして出されるのが、教育人材の「生かし合い」(=協働)です。

いまの学校システムは、多くの場合、1人の先生(担任)の肩にあまりに多くを背負わせるシステムになってしまっています。そのことが、過労を生んだり、あるいは気軽に“頼り合えない”文化を生んだりしてしまっています。

これを、「1人」を単位とするのではなく、「2人以上」の「組み合わせ最適」を見つけていく組織へと転換する。つまり、教師や外部人材も含めて、どのような「チーム」を作ればその組織の力を最大化できるかを、つねに考え続ける学校組織に転換していくのです。

これもまた、具体的な方策は本書をじっさいにお読みいただければと思います。「すべての課題・問題を独力で解決できる」教師というより、「協働的に問題解決ができるようになる」ための杉並の教員研修の考え方なども含め、示唆に富む内容が書かれています。

子どもたちを施設に合わせるのではなく、
施設を子どもたちに合わせていく

次に、学校施設・設備をどうするか。

学校建築は、戦後の急速な復興過程の中で、「安価で堅牢、単純で工夫のない」、きわめて無味乾燥なものになってしまいました。カクカクとした、あまりカラフルでもない学び場です。

こんな場所に一日中いれば、子どもたちの感受性が心地よく刺激されることも難しい。

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そこで本書は、またも「みな違う」に基づいた施設・設備のあり方を論じます。つまり、個々の子どもたちのその時々の学びやニーズに「応答」できる学校施設のあり方です。「その代表的な例が、オープンスペースで連結したオープン型のスクリーンウォールを備える教室であり、可動式・昇降式の椅子やテーブル、コーナーをはじめとした家具です」。

本書には、まちの公園と一体化した杉並の学校なども紹介されています。ヨーロッパではよく見かけるものです。

そうした、子どもたちが施設の中に閉じ込められるのではなく、むしろ子どもたちに施設が「応答」して変化していけるような、カラフルで温かな学校づくりはいかに可能か。

本書には、その具体的なアイデアが多数書かれています。

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