気鋭の教育行政官が描く、「教育を変える」ための設計図

新刊『教育は変えられる』推薦エッセイ
苫野 一徳 プロフィール

「原理」を実装する

そもそも公教育は何のためにあるのか?

長い哲学の歴史は、その“答え”をさしあたり次のように解明しています(むろん、今後もこの“答え”はたえず検証され続けなければなりません)。

すなわち、すべての子どもに、「自由」に、つまり生きたいように生きられる“力”を育むため。

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ただし、ここで言う「自由」はわがまま放題のことではありません。ただわがままを主張し合うだけだと、最後は争いになり、お互いの自由を奪い合って、だれも「自由」に生きることなどできないからです。

そこでわたしたちは、お互いが対等に「自由」な存在であるということを、まずは認め合わなければなりません。これを「自由の相互承認」と言いますが、公教育は、すべての子どもにこの「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に、だれもが「自由」に生きられる力を育むために存在しているのです。

ジャン=ジャック・ルソーやG.W.F. ヘーゲルなど、多くの哲学者たちが、文字通り命がけで(当時は言論の自由などありませんでした)、思想のリレーを通して導き出した原理です。

 

もう1点、そのような公教育の「正当性」、すなわち「よさ」の根本原理を、私たちは「一般福祉」の原理として明示することができます(山口氏は「普遍福祉」と呼んでいますが、同じことです。「普遍」と言った方が、“すべての人の福祉”という意味が伝わりやすくていいかもしれません)。

これは、公教育がすべての人の「自由」を実質化すべき本質を持つものである以上、その政策は、ある一部の人(子ども)だけの自由(=福祉、よき生)を実質化するものであってはならず、“すべての人(子ども)”の自由(=福祉、よき生)を実質化するものでなければならないということです。

当たり前のことのようでいて、じつのところ、教育政策においてしばしば忘れられてしまう原理です。

著者の山口氏は、この哲学原理をつねに底に敷きながら、ではこれを実現するためにはどのようなシステムを作ればよいかを明らかにし、じっさいに作ってきました。その哲学的センスには目をみはるものがありますが、それだけでなく、システム全体をデザインする能力と、それを実現する力もまた、並大抵のものではありません。

本書で強調されるのは、ここで紹介されている方法論やアイデアだけを、単に模倣するのであってはならないということです。

大事なことは、上記の「原理」であり、それを実現するにあたっての基本的な“考え方”です。そしてその実現のための方法は、それぞれの学校や行政等の状況に応じてさまざまなのです。

ですので読者には、本書で提言されているアイデアの数々を大いに参考にしながらも、それぞれの現場をよりよいものへ「変える」ための方途を“自ら考える”ことがめられています。

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