ヨーロッパの保守的な村では聖職者は尊敬の対象で、特にポーランドでは神様や王様のような扱いを受け、閉鎖された教会という世界で尊大になってしまう聖職者たちも少なくないという。そのほかにも、金銭的な理由がある、パツェヴィチさんは言う。

「教会ではミサの後に信者たちが寄付をしますが、なかには大金を寄付する人たちもいます。また、結婚式や葬儀などの行事のたびに信者はお金を払いますが、なりすまし神父は教会から派遣されていないので教会へ支払う必要がなく、信者に大金を求めません。偽装神父が信者の心を捉えるのは、こういった経済的な事情もあるのです」

教会は唯一の「政治的な集会」の場だった

なりすまし神父がポーランドのニュースを賑わせるようになったのは1985年以降だそうだが、そこにはポーランドの政治状況が背景にある。

第二次世界大戦後、ソ連の傀儡政権としてポーランドは共産主義体制にあった。この体制下、言論は弾圧されて経済は悪化。特に1981年から1983年にかけては戒厳令が敷かれて市民の自由は著しく損なわれ、多くのジャーナリストや反政府活動家が投獄、あるいは殺害されていった。こういった時代に、キリスト教会は人々の精神的な安らぎの場としてだけではなく、政府が唯一許す政治的な集会の場にもなっていたらしい。

「1984年に、共産主義政府によってイエジ・ポピエウシュコ司祭が惨殺されましたが、それ以外で聖職者が迫害された事件はないと思います。司祭の暗殺はかなり例外的なものでした。つまり、ポーランドが民主化される1989年まで、教会は政府が暗黙に認めたアンダーグランドでした」

イエジ・ポピエウシュコ氏はカトリック教会の司祭だったが、反共産主義の思想の持ち主で、労働者のストライキにも参加しており、共産党政権に抗議していた。1984年、そんな彼を秘密警察が捕まえて激しく殴打した上に手足を縛り、冷酷にも貯水湖へ沈めた。国中から敬愛されていた司祭の無残な遺体を写した写真は世界中に出回り、凄惨なこの暗殺事件はポーランドを大いに揺るがしたという。葬儀には15万人以上が集まり、世論に負けて、政府は司祭を殺害した秘密警察を逮捕したのだった(※1)

その後、1989年に非共産主義政府が成立し、ポーランドの民主化が実現したのだが、第二次世界大戦から1989年までの44年もの間、ポーランド人にとって反政府活動が許される唯一の場所であったカトリック教会。そういった意味で、ポーランドのカトリック教会は市民をあらゆる意味で支えていた存在だったのである。