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カントの食卓仲間はかく語りき…老哲学者の日常生活

カントの食事マナーは下品だった?
カントは毎日の昼食に知人を招き、4~5時間に及ぶ会話をしたが、そこでは「哲学的テーマ」が徹底して避けられていたという。還暦を迎えたカントは何を語り、どのような食事風景が繰り広げられていたのか――哲学者の中島義道氏が、老境に達したカントの姿を鮮やかに描き出した現代新書の新刊『晩年のカント』から、第1章の抜粋を以下に公開します!
 

影に覆われた最晩年

「はじめに」で断ったように、本書ではカントの最晩年である1793年から1804年まで(カント69歳から80歳まで)の11年間を、おもにその著作に焦点を当ててたどっていく。

なぜ、カントの最晩年を69歳という中途半端な歳から始めたのか? 70歳から始めてもいいのであるが、その前年に彼の生涯における最大の事件をひき起こした『たんなる理性の限界内における宗教』(以下、略して『宗教論』と呼ぶ)が刊行されたからである。

これからちょうど10年間続くカントの最晩年は、まるごと『宗教論』が引きずるさまざまな濃淡の影に覆われていると言っても過言ではないであろう。

だが、そういう深刻な話に入る前に、まず、カントとはどういう人間であるのか見ておこう。堅物の代表のような哲学者あるいは道学者先生というイメージが定着しているようであるが、じつは全然違うのであって、その固定イメージを破壊する意味で、まず彼の晩年の日常生活から見ていくことにする。

借家を転々としていたカント

さて、カントに関する逸話として有名なのは、日ごと、自宅に知人たちをもてなした「食卓の会話」と、定刻通りに行なわれた散歩であろう。散歩中のカントに会ったケーニヒスベルクの人びとはそのつど時計を合わせたと言われている。

この2つの出来事は連関していて、ともに始まったのは、カントが自宅を所有してからあとのことである。そして、じつは、カントは63歳(1787年)のころ、やっと自分自身の家に住むことができ(購入したのは1783年だという説もある)、それまでは借家を転々としていた。

それを遡ること12年前(1775年、51歳のとき)、カントは隣家の鶏の声がうるさいという理由で転居したが、アルセニイ・グリガはこう記している。

移転はとくに厄介ではなかった。カントの所有物はわずかだったからである。「鍵、戸棚、インク壺、ペンとナイフ、紙、書類、書物、スリッパ、長靴、毛皮の外套、帽子、パジャマ、ナプキン、テーブルクロース、タオル、皿、丸鉢、ナイフとフォーク、塩入れ、瓶、ワイングラスとビールグラス、瓶詰ワイン、タバコ、パイプ、ティーポット、茶、砂糖、ブラシ。」以上が、哲学者が新しい住居へ移る前に自分で書いた、つつましい所帯道具の目録である。(『カント―その生涯と思想』115ページ)

どうであろう? カントは、すでに5年前にケーニヒスベルク大学の正教授になったのだが、その男の家財道具がこれだけとは? 書籍が1冊もないことが気に懸かるが、すべて大学の書籍を利用していたのであろう。

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