中国にとって、第一段階の貿易戦争は、まさに青天の霹靂のように降って来ました。
2018年3月20日、北京で全国人民代表大会(国会)が閉幕します。習近平主席が、憲法を改正して自己の国家主席の任期を撤廃。意のままに省庁改編を行い、引退していた盟友の王岐山前常務委員を国家副主席に就けるなど、「習近平一強体制」を完成させた大会でした。「習近平皇帝」はもはや国内に、何も恐れるものはなくなったのです。
ところが、この大会を終えたわずか2日後の3月22日に、太平洋の向こう側から「鉄拳」が飛んできました。トランプ大統領が「中国製品に追加報復関税をかける」と噛みついてきたのです。この日が「米中新冷戦」の「宣戦布告」となりました。
この時、中国側にはアメリカに対して、強硬策で臨むか宥和策で臨むかという二つの選択肢がありました。ごく単純化して言えば、前者は国粋主義的な「習近平グループ」が主張し、後者は国際主義的な「李克強(首相)グループ」が主張していました。
当時の「中南海」は、「習近平一強体制」が完成したばかりです。
李克強首相は全国人民代表大会で、2期目5年の首相職留任を決めるのに精一杯。「もうアメリカの言いなりになる時代は終わった」という強硬派の意見が支配的でした。そこで、「奉陪到底」(フェンペイタオディ/最後まで付き合ってやろうではないか)という、一説には習主席が御前会議で述べたというセリフをスローガンにして、徹底抗戦を決めたのです。
貿易戦争が実際に「開戦」したのは同年7月6日で、第1弾として互いに340億ドル分の輸入品に追加関税をかけ合いました。8月23日に第2弾として互いに160億ドル分、9月24日に第3弾としてアメリカが2000億ドル分、中国が600億ドル分の追加関税をかけ、貿易戦争はエスカレートしていきます。
このチキンレースで息切れしたのは、中国のほうでした。中国はいくら世界第2位の経済大国とは言え、規模はアメリカの3分の2程度です。相撲にたとえるなら横綱対関脇クラスの取組のようなもので、がっぷり四つに組めば横綱が有利に決まっているのです。
アメリカとの貿易戦争によって、中国の輸出産業は大打撃を受け、外国資本と外資系企業も中国から撤退や縮小を始めました。こうして中国経済が急速に悪化していったことで、「習近平グループ」に対する批判の声が高まっていきます。
ちなみに、世界経済のナンバー1とナンバー2が貿易戦争を起こしたのですから、ナンバー3である日本の仲裁に世界は期待しましたが、安倍晋三首相(当時)は同年10月に北京を訪問したものの、米中対立にはほとんど無策でした。
結局、同年12月1日にブエノスアイレスG20の場で、習近平主席がトランプ大統領と1年1ヵ月ぶりの首脳会談を行い、「詫び」を入れる格好になりました。