ただ、ずいぶんと大人になって振り返ると、祖父母の気持ちもわかる。
松竹新喜劇は、どちらかというと歌舞伎芝居の流れにあるだろう。
歌舞伎のことを、昔の人はいちいち歌舞伎とは呼ばずに単に「芝居」と呼んでおり、たとえば大正期の日本人にとって単に「芝居」と言えば有無を言わさず歌舞伎のことであった。うちの祖父母もそうだった。
日本の演劇界の主流は徳川時代からずっと歌舞伎芝居だったのだ。
松竹新喜劇は、その歌舞伎の興行スタイルを踏襲している。
いっぽうの吉本新喜劇は、寄席興行の流れにある。
これまた歌舞伎よりは少し遅れるが、でも徳川時代の半ばに始まったのが寄席の興行であり、明治期にはその人気は全盛を誇った。
寄席はあまり一ヵ月興行というのをおこなわず、十日ないしは十五日で演者が入れ替わっていく。また、歌舞伎芝居よりもっとテンポが早く、つまり一演目の時間が短い。すっと入ってすっと出ていけるのが寄席興行であり、吉本は寄席を経営する会社であったから、喜劇を始めたときもその流れのなかにある劇を見せていたのだとおもう。
吉本新喜劇がコントとギャグの連続で成り立つような分断的な構成になっているのは、そういう歴史からくるものだとおもわれる。
それは小学生男子がとても喜ぶ仕上がりになっていた。
いっぽう「笑って泣ける」松竹新喜劇は、その眼目は「泣ける」ほうにあったようにおもう。
見終わって、ええ話やったなあ、という感想を持つような仕上がりになっていて、何度も笑わされながらも最後は何かしらの感動的シーンへ持っていくという芝居である。
明治生まれの祖父母が、これは子供が見てもいいだろうと判断しそうな内容だった。
まあ、祖父母は単に芝居が好きだったから、ということもあったのだとおもうが。