当時の松竹新喜劇といえば、藤山寛美だった。
彼の牽引する劇団であった。
大人気の喜劇役者である。
いま調べると彼は1929年の生まれだから、私が祖父母と見ていたとき、まだ30代の終わりから40になるころだったのだ。おもったより若い。でも小学生に役者の年齢が実感できるわけはない。
藤山寛美といえば「あほ」役であった。
「あほ」役を演じ、人気であった。何度見ても笑った。
そして、寛美の「あほ」役を見るたびに、一緒に見ている祖母は、大笑いしながら「この人はほんまはあほと違うで」と教えてくれた。小学5年生にもなれば、そんなことはわかってると言うのだが、やはり次に見ると、「ほんまはあほとちゃうのやで」と教えてくれるのである。
吉本新喜劇は、いわば「コント」の連続のような展開だったが、松竹新喜劇はちゃんとした芝居であった。
明治生まれの祖父母が好きな芝居である。
笑って泣ける人情芝居だった。
この「泣ける」という部分が、子供にとって苦手だったのだ。
特に家族もの、親子もので泣ける人情芝居が展開されると、10歳くらいの子供にとってあまり素直に楽しめなかった。子供にとってまだ世界はそこまで複層的ではないからだ。少なくとも家族で一緒に見ているときに、家族の情愛を見せられても、子供だから反応に困る。からっとしている吉本に比べて、じめっとした松竹は、10歳の子供にとって苦手な芝居であった。