パラグアイ戦の敗戦で歓喜に包まれた北京の居酒屋でガックリ
ワールドカップの盛り上がりに見る「ガス抜き」と「啓蒙」「北京の原宿」こと三里屯。この1ヵ月近くというもの、夜から明け方にかけて、数百件犇めく居酒屋やカフェバーは、「球迷」(サッカーファン)たちの歓声が鳴り止まない。
ほぼすべての店が急遽、大型テレビを運び込み、「世界杯」(ワールドカップ)の生中継を流している。そしてゴールが決まるや、まるで落雷のように、街全体に轟音が響き渡る。
試合が終わる北京時間の明け方になると、店から出てくる客たちを待つタクシーが鈴なりになり、酔っぱらい運転を警戒する警官隊まで特別出動する。おかげで北京市内のビールの消費量は、4割もアップしているという。
マスメディアもワールドカップ一色だ。新聞は連日、16ページのワールドカップ特集を組んでいる。テレビも、中央テレビの5チャンネルと北京テレビの5チャンネルで、24時間ワールドカップを流している。毎日ゴールデンタイムに放送されるワールドカップ特別番組には、人気ナンバー1の女子アナ・王梁を抜擢する力の入れようだ。
普段は中国共産党の宣伝番組と化している中央テレビの7時のニュースでさえ、毎日頭から15分くらい、ワールドカップの話題だ。
しかも、試合の速報ばかりか、「ドイツの水族館に試合結果を当てるタコが現れた」とかいうことまで詳報する。とても数億人の視聴者が見るお堅いニュース番組とは思えないのだ。
なぜ自国が出てもいないワールドカップが、中国でこれほど盛り上がっているのか。というより、党と政府主導で盛り上げているのか。こちらのテレビ関係者に聞くと、次のように答えた。
「やれ地震だ、旱魃だ、洪水だと、このところ暗い話題が多かった。ワールドカップを放映すると、国全体の雰囲気が明るくなります。それに中国が出場していないからこそ、視聴者も冷静に見られるというものです」
これは、なかなか含みのあるコメントだ。その意味するところは、一言で言うと、ワールドカップは国民への「ガス抜き」だということである。
中国は、住んでみると分かるが、日本とは比較にならないストレス社会である。人々は、職場に対して、地域に対して、政府に対して、同僚や知人に対してなど、さまざまなストレスを抱えて生きている。
確かに経済成長は凄まじいが、その陰に隠れた「犠牲」もまた凄まじい国なのだ。
そんな中で、国民の日々のストレスが、あらぬ方向に「暴発」しないようにするためには、折々の「国民的イベント」が不可欠である。
春には上海万博で盛り上げ、夏にはワールドカップで盛り上げ、来る秋には広州アジア大会で盛り上げる。半年間続く上海万博の盛り上がりが、6月に入って中だるみすることを見越して、「端午の節句3連休」を制定し、「万博へ行こうキャンペーン」を展開するようなお国柄なのである。
しかも今回のワールドカップには、図らずも前出のテレビ局関係者が語ったように、「中国が不参加」というところがミソである。
参加していれば、北朝鮮チームのように、強国からボコボコにされるのは自明の理なので、国民は、かえってストレスが溜まるハメになる。
この「ガス抜き作戦」は、見事に功を奏している。北京を代表する新聞『新京報』(6月26日付)の世論調査によれば、「毎晩夜を徹して見ている」(34.0%)、「徹夜まではしないが見ている」(30.5%)と、ほぼ3人に2人が「球迷」と化している。いまでは、私の周囲の中国人たちも、有力チームのメンバーを諳んじているほどだ。
中国のワールドカップ報道を見ていると、「ガス抜き」に加えて、もう一つ、「啓蒙」としての側面を感じる。あるテレビの解説者は、こう嘆息していた。
「なぜ中国は世界の檜舞台に出場できないのか。不正をやったり(中国のサッカーリーグは昨年来の賭博問題で激震している)、チームのために貢献する精神が足りないからではないか。中国人は一人ひとりは龍のように強いのに、5人以上の団体スポーツになると、とたんに萎えてしまう」
つまり、ワールドカップを例に取って、中国に蔓延る拝金主義と権力闘争を批判しているのである。ワールドカップは、グローバル・スタンダードを中国に啓蒙する絶好の機会というわけだ。
これは2年前の北京オリンピックの時に、国を挙げて「マナー向上キャンペーン」を展開したのと同じだ。
日本の忍者部隊はよくやった、との報道も
「啓蒙」という意味で傑作だったのは、株式専門新聞の『投資者報』(6月21日付)だ。
株式専門新聞まで、16ページのワールドカップ特集を組んでしまうところがすごいが、何と参加した32チームを、それぞれ「似通ったタイプの中国株銘柄」に喩えて、株価のグラフ付きで解説していたのだ。
例えば、「日本チームは堅実さとチームプレーを旨としており、浪潮軟件(株式番号600756)が、まさに日本チーム的会社にあたる」として、日本代表が、山東省済南市に本社がある従業員2200人の優良ソフトウェア会社と比較されていた。
一番悲惨なのは北朝鮮チームで、大暴落して上場停止を喰らった海南島のリフォーム会社、ST羅頓(株式番号600209)に喩えられていた。「売上げも利益も下降の一途を辿り、さらにこの先、大波乱含み」。いずれにしても、サッカーを使って株式投資を啓蒙していくという発想はユニークだ。
最後に、日本代表チームに対しては、愛憎半ばする中国人の複雑な対日感情が垣間見えた。
デンマーク戦で快勝した翌日の新聞には、「私は日本に対して、決してよい感情は抱いていないが、それでも昨晩の『忍者部隊』は最高の出来だった」という解説記事が載った。
また、決勝トーナメントのパラグアイ戦は、冒頭の三里屯のある居酒屋で、中国人の友人たちと観戦したが、PK戦で日本ががっくり項垂れるや、店内は、まるで中国チームが優勝したかのような歓声に包まれた。
その光景を見て私は、二重の意味で打ちひしがれた。
日本が「アジア外交重視」の民主党政権に変わったからといって、中国人の国民感情が一朝一夕に変わるわけではないことを悟ったのだった。