ある女性研究者の願い

ある国際学会の特別セッションの中で行われたその講演は、著名な3名のシニア研究者が若手に語りかけるというもので、その3名の中に、80歳を超えて尚、研究活動を続けるある女性研究者がいた。

彼女とは一度だけ会ったことがあった。私が米国で働いていた頃、彼女の働く研究所で学生に向けた講演を行う機会があったのだが、まだ海外に出たばかりで知名度も低い私の講演をわざわざ彼女が聴きに来てくれたのだ。さらに、彼女は講演後の懇親会にも顔を出してくれ、研究内容について詳しい質問をしてくれた。教科書や論文でしか知らなかった伝説的な研究者が、自分の研究について真剣な態度で質問をしてくれる。駆け出しの研究者だった私には、これ以上ない激励であった。

そんな彼女が、どんな話を若手に語りかけるのか、とても楽しみに講演に出席した。講演は、3名の研究者がそれぞれの研究分野の現状をレビューし、各分野の未解決な点などを議論する形で進められた。そして講演の最後に司会者から、「見てみたい未来は?」という質問がなされ、3名が順番に答えていった。最初の男性研究者2名は、それぞれが関わるプロジェクトの成功が見たいと語り、最後が彼女だった。

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彼女はまず、自分が若かった頃の他の研究者達と一緒に映った白黒の集合写真を見せた。会場がざわつく中、「ここには女性が私一人しかいません」とゆっくり話し始めた。そして、「私はこの数が半分半分になる未来が見たい」と締めくくった。その瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれ、中には涙を流す若い女性研究者もいた。

その光景は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。しかしここで、私が男性という立場から考えなければいけないことは、彼女が何十年も受け続けたであろう差別も、彼女の言葉に涙した女性のその涙の理由も、私は実感をもって分かることはできないという事実だ。

分からないから分かる人以外のことを考えないのであれば、多様性は生まれえない。そして社会に多様性が生まれるかどうか、つまり、誰もが生きやすい社会を実現できるかどうかは、自分達の住む社会が今のままでいいのかを一人ひとりが「本気」で考えられるかにかかっているのではないだろうか。