あとかたもなくなっていた 

妻からメールが来て、娘が「パパどこ行ったの? パパと遊びたい」と言っていると言われた。「帰ってきてほしい」と。僕は1ヵ月ぶりに家に帰った。娘はすこし前に僕と観た『アナと雪の女王』が気に入ったらしく、また映画を観に行く約束をした。妻と話しあい、娘が幼稚園を卒業したら離婚しようと決めた。それまでに妻は娘と2人で暮らしていく準備をしたい。急に離婚して一人で娘を育てていくのは自信がないと言われた。X社にドはまりし、「お金のトラウマ」などと口走る妻が娘を育てられるのだろうか……。だが、僕はできるだけ妻を刺激しないように、あと一年を乗り越えようとした。せめて無事に、娘に幼稚園を卒業させてあげよう。それだけを目標にしてがんばろうと。

だけどX社だらけの家で、人格の変わってしまった妻と一緒にいることは耐えられなかった。相変わらずX社製品を買い込み、コンビニの前を通れば「コンビニに置いてあるものは身体に悪いものばかりだから」と怒りをおさえられない妻、スーパーに行けば放射能や農薬を気にして「こんな野菜を売るなんて」とおびえている妻、ドラッグストアに行けば「薬なんて身体に害しかないのに……、洗剤も化粧品もこんなにモノの悪い製品を置いているなんて」と愚痴をこぼす妻。そして空気清浄機の音に耐えられなくなった僕は、気づくとある朝「お願いだからX社をやめてくれ」と懇願していた。

ズュータンさんも妻が変わっていく様に疲れ果てていた(写真の人物は本文と関係ありません)Photo by iStock

「X社はすごいんだよ。システムもTポイントカードみたいなものだよ!」と声を荒らげた妻に、僕は「マルチ商法だろ!」と言ってはいけないことを言ってしまった。それにたいして妻は「X社はただの通販だよ!」と反射的に強い口調で言い返してきた。そのときの妻の目にはX社をマルチ商法というやつは許さないという揺るぎない意志があった。妻の目が怖かった。気づいたら僕は妻に頭突きをしていた。僕の頭が妻のおでこにコツンと当たった。本気で頭突きするつもりだったが、ほんのすこしだけ冷静さが残っていた僕は、当たる直前で力を抑えた。

だが妻のおでこに当たってしまった。これまで手を出さないように気をつけていたが、頭が出てしまった。僕は、いままで抑えてきたものを押しとめることができなかった。「出てってくれ! X社の製品も全部家から出してくれ!」と。そう言い残し、僕は家を出た。

夜、家に帰ると、妻と娘の姿はどこにもなかった。X社の製品は、すべて家からなくなっていた。平泉さんとX社の仲間たちが家にやってきて、荷物を運び出していたことは察しがついた。他にすぐに家に来て荷物を運び出せる人は思い当たらなかったから。それ以来、妻と娘が帰ってくることはなかった。妻と娘が平泉さんの家で暮らしはじめたのを知ったのは、だいぶあとになってからだった。

妻がマルチ商法にハマって家庭崩壊した僕の話
第1章    妻がマルチ商法にハマり、家を出るまでの2年間
第2章    離婚調停―妻の身にいったい何が起きていたのか?
第3章    SNSで被害を発信しはじめたら起こったこと――5人の被害者たち
第4章    マルチ商法と社会の闇
第5章    家庭崩壊した僕が、今伝えられること
ズュータンさんが不安にかられながらもなんとか妻とうまくやれないか道を探っている様子も詳細に描かれている。本記事は「はじめに」と「第1章」より抜粋の上掲載したものである。