妻はなぜマルチ商法に傾倒したのか

僕の妻は、地域の民生委員を務める平泉さん(仮名)という身近な60 代の女性から勧誘された。その頃僕と妻は30代半ば。3歳の娘と陽当たりの良いマンションで平和に暮らしていた。

だが困っていたことがあった。同じマンションの住人に、自転車置き場にとめていた電動自転車にいたずらをされていたのだ。自転車を倒されたり、かごにゴミを入れられたり、サドルを汚されたり、いたずらは日に日にエスカレートしていき、そのうち娘に危害が加えられるかもしれないという恐怖から新たな自転車置き場を探さなければいけなくなった。

駐輪場で自転車にいたずらされて困っている。その相談をしたことが、マルチ商法にハマるきっかけだった(写真の場所は本文と関係ありません) Photo by iStock

そこで妻から「平泉さんなら持っているマンションの自転車置き場を貸してくれるかも」と提案があった。妻が平泉さんに頼みにいくことにした。帰ってきた妻に「どうだった?」と聞くと、平泉さんと玄関先で顔を合わせるなり「子どもに何食べさせてるの?」と聞かれ、食や健康のことについて「あれ食べさせちゃだめだよね~」などと言う話で1時間ぐらい盛り上がったと聞かされた。「自転車もタダで置いていいって言われたよ~」と、うれしそうに話していた。
後日、「平泉さんに料理教室に誘われたから行ってくるね!」と、妻は僕に娘を預けて出かけていった。帰ってきた妻に「どうだった?」と聞いたら、「いままで行ったなかで一番立派な家だった」と興奮気味に話していた。

「それでね、X社だったの」

平泉さんの家は大きな壁に囲まれて、外からは建物が見えないほどの豪邸だった。ガーデニングに凝っていて見晴らしの良い場所に建っている。土地やマンションもたくさん持っている、地域では有名な大地主だ。そのときに妻から「それでね、X社だったの」と、僕の反応を確かめるように言われた。X社と言えばマルチ商法で有名ということだけは知っていたので、言われた瞬間、僕は「え?」と固まってしまった。当時の僕はX社のこともマルチ商法がどういうものかもよく知っていたわけではない。ただ良いイメージがなかったのは確かだった。妻との会話にマルチ商法を連想させる会社名が出てきただけで僕の中の危険センサーが鳴った。でも妻はX社のことを警戒している様子はまったくなかった。
むしろ「平泉さんと出会えてよかった!」「これから楽しくなりそう!」という感じだった。

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「これから楽しくなりそう」からすぐに、自宅はX社の商品で溢れるようになったという。しかし当初ズュータンさんは不安を覚えながらも「商品を買っているだけだから」「これで儲けているわけではないから」と思い込むようにしていた。そして、新しい家に引っ越せば妻も良い方向に変わってくれるのではないか、X社もやめてくれるのではないかと期待を込めて、冒頭のように新築の家に引っ越したのだった。

ところがその後も製品はひっきりなしに届き、寝室に置かれたX社の空気清浄機の音に我慢できずにズュータンさんだけが寝室を別にするようになる。やがて、妻が実はママ友など周囲にもX社を勧めていたこと、友達に会うと嘘をついて平泉さんや、平泉さんより上級会員の徹子さん(仮名)のもとで頻繁に自己啓発セミナーを受けていることも発覚した。妻の実の姉に相談のメールを送ると、「私、ズュータンの気持ち、よくわかります。うちに泊まりに来たときもずっとあれを食べてはいけない、これを食べると病気になるとか、そんな話ばかりされてゲンナリしました。X社の話もしていました。妹は洗脳されてると思いました」という返信が来た。

ズュータンさんは否定しては心を閉ざすだけだと、妻からX社の製品の良さを教えてもらう作戦にも出た。しかし妻からメールで帰ってきたのは「セシウムに関しても完璧に取れると言った間違えた情報になってしまいました」「私を含めX社を好きな人って、そんなに他社のデータとの比較とか、内容成分を細かく調べたりしませんよ」「X社をやってる人が好き! 綺麗! パワフル! オッケー! やる! こんな感じです。3秒もかからない…」というような内容だった。ともに暮らすにはもはや限界が来ていた。