「毒親」という言葉がある。「毒」とまで言わずとも、「なぜこんな嫌なことを言ってくるの?」「なぜこんなことするの?」と親の謎の行動に悩む人は少なくないのではないだろうか。では、もしそれが「義理の親」だった場合はどうなるだろうか。望んで結婚した夫婦だって、「家族」として分かり合うにはお互いへの思いやりやコミュニケーションが大切だ。できる限り歩み寄り、それでもどうしようもないときも時にはあるだろう。それが「義理の親」となると、問題はさらに複雑になってくる。

上松容子さんは一人っ子として育ったゆえに、自分の母や未婚の伯母も介護してきた体験を「介護とゴミ屋敷」という連載で伝えてくれた。ただ実は、義理の母親の問題にはそれ以前から悩まされていたのだ。夫の母ゆえにきちんと付き合いたいと思い、違和感を抱きながらも日々起こる謎の問題になんとか対応していくしかなかった。闇の中を手探りするようなその過程を伝えていき、実は多くの人が悩んでいるといわれる「義理の親」問題を考えていく連載「謎義母と私」、3回目は孫と一切遊ばない不思議なお伝えする。なお、個人が特定されないように上松さん自身もペンネームであり、登場人物の名前は仮名としたドキュメンタリーである。

容子    20代後半で結婚
夫     容子と同い年。営業職
義父       東京近郊在住 大正生まれ 中小企業社長
義母トミ子 昭和ヒト桁生まれ 元看護師 専業主婦
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両家の祖父母、孫誕生への温度差

結婚後数年経って、娘が生まれた。当て字を使ったキラキラネームが流行り始めたころだったが、極めて昭和的な名を付けた。仮に明子とする。私も夫も一人っ子なので、双方の両親にとって初孫である。離れて住んでいてもできるだけ足を運んで、孫の顔を見せようと考えた。

私の実家に行ったときはたいへんだった。相手はまだヒヨヒヨした赤ん坊だというのに、今回はどんなふうに孫を喜ばせようかと両親が手ぐすね引いて待っているのだ。
母は明子を寝かしつけるとき、思いつく限りの子守唄を歌った。授乳のあとなかなかゲップが出ないとき、私と交代で抱っこし、背中を叩いてやった。

物心ついて歩けるようになってからは、両親が代わる代わる散歩に連れていった。父は、近くの公園にニワトリたちが飼われている鳥小屋があるのを知り、明子を誘って出かけた。小屋の周りに生えている草を摘んで、鳥に食べさせてみると、明子もまねをした。「面白がって金網からなかなか離れないんだよ」と言って相好を崩した。

上松さんの両親は本当に娘を可愛がってくれた Photo by iStock

母は母で、小麦粉ねんどを買ってきて一緒に遊び、大きな画用紙を買ってきて絵を描かせた。極めつけは、テレビでジブリ映画を放送するときには孫のために手をかけて録画していたことだ。CMのたびに停止ボタンを押し、アニメだけを抽出したビデオを作るのだった。
そんな両親を、娘はおじいちゃん・おばあちゃんではなく、登志子さん、大パパと呼んで懐いた。