瀬戸大也さんの妻であり、飛込の元日本代表の馬淵優佳さんのインタビュー記事が出たのは2019年10月19日のこと。優佳さんが現実と向き合い、自分で冷静に考える姿に多くの感動の声、応援の声も寄せられた。その記事中にもあったように、「瀬戸大也の妻としてではなく馬淵優佳としての発信をしたい」とFRaUwebで連載を考えようとやり取りしていた中でのインタビューだった。

「自分になにができるだろう」そう考える人は少なくないのではないか。優佳さんにどんなものを発信していきたいかと聞くと、こう答えた。

「私、3歳から競技を続けてきました。辞めたいと思ったこともあるんですが、結局続けてわかったことがある。そしてやはり思うんです。スポーツは素晴らしいと」

なぜ素晴らしいのか。辛いときはどうしたらいいのか。きれいごとだけではない切り取り方で、「スポーツが教えてくれること」と題して、優佳さん自身の連載をスタートする。

好きかどうかより「これしかない」と思っていた

私は約20年間競技を続けてきた。この20年の間に、競技を好きか聞かれる機会はたくさんあったが、いつも自分でも心の中がわからなかった。好きかどうかより、自分にはこれしかできないと思っていたことは明確だ。

競技生活を送っていた時の優佳さん。大阪と東京との遠距離恋愛だったが、競技生活をやめ、東京に来て結婚することに 写真提供/馬淵優佳

私が初めて飛び込み台に立ったのは3歳の頃。
きっかけなんてなかった。なぜなら私の父は私が産まれる前からオリンピック選手を育てる飛込競技の指導者だったからだ。
腰に浮具をつけて1m台に立つ。その時、怖かったのか楽しかったのかは覚えていないが、きっと楽しかったのだろう。

1995年、私は阪神大震災の被害がまだ残る2月初旬に産まれた。当時まだ水が思うように手に入らず、私はプールの水でお風呂に入れられていたそうだ。

飛込の全日本ナショナルチームコーチである馬淵崇英氏の次女として誕生 写真提供/馬淵優佳

だからではないけれど、私にとってプールは常に身近な存在で、父に連れられてプールに行くことは、毎日お風呂に入るような当たり前の感覚だったと思う。プールに行けば、選手みんなが遊んでくれたり、マットやトランポリンが使えた。その環境は、きっと子供なら目をキラキラさせるだろう。
今思い返せば、親に競技をやりたいのか、競技が好きなのか、と聞かれた記憶がない。それくらい当たり前の存在であった環境ゆえに、私の中での苦悩があった。
 
小学生に上がる頃、習い事として競技をやることになり、父とは違うコーチから指導を受けていた。チームの一員として同じ年齢の選手たちと練習できることがすごく楽しく、学校に行くよりも何よりも楽しかった記憶がある。
しかし私が競技に対して心の底から楽しい、と思ったのはその時までだった。

4歳の時の写真。こんなきれいなフォームで飛び込めるとは…写真提供/馬淵優佳