東京から京都に移り住んだジャーナリストの秋尾沙戸子さんと、秋尾さんを京都の師とあおぐ漫画家の東村アキコさん連載「アキオとアキコの京都女磨き」。今回は一切着物を着ていなかった秋尾さんが、お母様の急逝後、どのように着物について学んだのかを伝えてもらう。

母の形見を纏う理由

「美人の母親の下に、父親似で生まれてきた娘」の悲哀を、子どものころから嫌というほど味わってきた。理由もなく私が怒鳴られるのは、父に不満があったか、姑(父方の祖母)に腹が立ったとき。母の怒りの矛先は私に向けられ、実家では私が常にサンドバックだった。自分に似ず、父にそっくりな私を見ると、怒りが倍増されたのだろう。

どうやら美人の母親というのは共通してこの傾向があるらしい。仕事柄、出会った人たちから、同様の苦労をよく聞かされた。戦前生まれの美しい母親たちは、何もアドバイスをしなくても娘が完璧で当たり前。センスが悪ければ怒り、さりとて、母を超えても機嫌が悪い。少なくとも私と母の関係は複雑で、難しいものがあった。

そんな母が63歳で急逝した。動脈瘤術後破裂。私は39歳。サラリーマンの父が出世を遂げ、母が溺愛した弟が結婚。母が私に接近し始めたときだった。自分の使命は終えたのだから、これからは「世間標準から逸脱した出来の悪い娘」に寄り添うのも悪くない。そうした気配を漂わせながら近づいてきた母となら、少しは仲良くできるかもしれない――。淡い期待を抱いた矢先、母は帰らぬ人となった。

だから、形見を纏うのである。生前、心を通わせられなかった分、物を介して交流するしかないのだ。般若のような表情しか思い出せないけど、私は母が好きだ。できれば色々語りあいたかった。母がどんな思いで生きてきたのか聞いてみたかった。生前は認めてもらえなかったが、着物を纏えば、母を感じることができるはず。応援されていると思い込むこともできる。そう信じて、私は「着物道」へと足を踏み入れた。

レシピ本なしの冷蔵庫のよう

没後数年は、きもの雑誌を毎号買って、目を慣らすことから始めた。生前、ちゃんと手ほどきを受けず、箪笥に残った帯や着物の数々をどう組み合わせたものか。それは、レシピ本なしで冷蔵庫の食材を料理する作業に等しかった。

箪笥の中に数はたくさんあるのだが、必ずしも着物と帯が合っていない。身幅も袖丈も統一されていない。エクセルに全データを打ち込んで、最大公約数のサイズで長襦袢を作った。娘時代のものは。押し入れに入れられたままで、カビがシミになったものもあった。

とにかく着慣れることだ。最初は美容院で着付けて、パーティや会食へは和服で出席、歌舞伎座にも足しげく通った。出張着付け教室の先生をみつけ、箪笥ごと見てもらい、コーデのアドバイスも受けた。そして私のからだは徐々に和服になじんでいたはずだった。

母の形見の着物にトランプの帯。袖から見える襦袢もトランプ文で 撮影/秋尾沙戸子

だが、東京で和服を着るのは実に居心地が悪い。20年前に上梓した『運命の長女』で賞を受けた際、式に参列してくれた番組スタッフから「なんで着物なんか着ているの?」と揶揄された。金屏風前のスピーチは母の着物で、と張り切っていた私はひどく落ち込んだ。いや、若者たちが浴衣を楽しむようになった令和のいまでも、会食に和服で出向くだけで「今日は何かあったんですか?」と女性からも詰問される。東京での和服は、相変わらず「非日常」着なのだ。