コントロールとは、必ずしも常にいけないことではない。よちよち歩きの幼児が車道に出ていこうとするのを叱って引き止めている母親は、「コントロールしたがる親」ではなく「分別のある親」といえるだろう。その時の彼女の“コントロール”は現実に即したものであり、そうすることで彼女は子供に必要な保護を与えているのである。
だが、その後十年たって、子供がひとりで道を渡ることができるようになってもまだこの母親が手を引こうとしていたら、それは子供の健全な精神の成長を助けている行為だとはとてもいいがたい。親からコントロールされてばかりいる子供は、新しいことを経験して学んでいくように勇気づけられることがないため、自信が育ちにくく、しばしば自分では何もできないように感じ、また心の奥にはフラストレーションがたまっていく。だがそういう親は自分自身に強い不安や恐怖心があるため、子供に干渉してばかりいる自分をとめることができないのである。
その結果、コントロールされている子供もまた不安感や恐怖心の強い人間になってしまうことが多く、精神的に成長することが困難になる。そういう子供の多くは、思春期を過ぎて成人に近づいてもあいかわらず世話を焼きコントロールしようとする親から脱却できず、一方、親のほうはあいかわらず子供の人権に対する侵略を続け、心を操ろうとし、子供の人生を支配し続ける。