コロナ禍によって、あぶりだされた問題、余儀なくされた変化、あるいはまったく変わらなかったことも含めて、世の中を俯瞰してみると、ポストコロナの世界は、地球上の人々が同じ問題に対して「考える」きっかけを作りました。現代を生きる私たちに一石を投じたようにも思えるコロナの存在。さまざまな角度から世界を見つめる識者たちに、感じたことを語ってもらいました。

今回、お話を伺ったのは、絵本作家の五味太郎さんと精神科医・ミュージシャンの星野概念さん。コロナ禍で見えた本質や、“普通”“常識”に縛られずに自分自身の心地よさを大切に生きることなどについて語ってくださいました。

●お話を伺ったのは…
五味太郎(ごみ・たろう)
1945年生まれ。デザイナーを経て、絵本作家デビュー。1973年から現在までに『たべたの だあれ』『みんなうんち』を始め、400冊以上の作品を手がける。著書に『大人問題』『じょうぶな頭とかしこい体になるために』など。www.gomitaro.com

星野概念(ほしの・がいねん)
1978年生まれ。精神科医として大学病院に勤務する傍ら、ミュージシャンとしても活動。いとうせいこうとの共著として『ラブという薬』と、その続編『自由というサプリ』を刊行。雑誌「BRUTUS」「ELLE gourmet」「群像」ほか、ウェブでも連載中。

コロナ後を考える、って言うけど、
どうしてその前から考えられなかったの?

ーーコロナによる変化に我々が戸惑っていた頃、ニュースサイトのインタビュー記事に掲載された五味太郎さんの言葉に世の中がハッとした。「逆に、コロナの前は安定してた?」この問いに自信を持って頷ける人は決して多くはないだろう。新たな環境が不自由や問題を生み出したのではない、それはあらかじめ根深くそこにあったのだ。コロナを機に世界を変えることはできるのか。五味さんはどう考えているんだろう。医師として不安定な人の心と日々向き合う、星野概念さんと訪ねた。

コロナ後を考える、とか言うけれど、どうしてコロナの前から考えられなかったのか不思議だよね。今まで何も考えてなかったのに、急に「考えてみよう」なんて言いだしても、無理だと思うよ。対症療法的に考えるなんて、できる? 考えるという習慣を今からつけよう、ということなら別だけど。

僕は昔から気になることがたくさんあって、問題山積の中にもうひとつの大きな問題が現れたというふうに、コロナのことを捉えている。なかでも、ずっと気にしている問題のひとつが、初等教育。あの年代の多感な子供たちがランドセルを背負って黄色い帽子をかぶり、自由もなく決められたパターンを繰り返して過ごしている。なんであんなにチープな暮らしを6年間もしなければいけないのか、と思うわけ。

〔PHOTO〕iStock

憲法26条を読んでみたことがある? カッコいいことが書いてあるんだよ。第一項、すべて国民は、「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」。つまり、ガキどもはその気になれば無償で学校に行ける。だた、第二項が怪しい。「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」と。親や保護者に義務があるのだと。その解釈を勘違いする人がいて、学校に行っていない子に対して義務の不履行だと言う。でも、学校に行かない子は権利を放棄しているだけなんだよ。これを国民が嫌う。この関係をなぜか好まないんだな。それをいいことに先生も、学校に来ない子は悪い子だと決めつける、ということになる。

俺はもう何十年も前から同じようなことを言ってきて、そう言われるとみんな納得するし、学校を変えたいと言う人もいるけれど、未だに何も変わらない。これには何か日本人の国民的な心理があるよね。義務を負い、それに対して必死に反応して褒美を貰うというパターンが好きなんだとしか思えない。俺個人のことを言えば、学校があまり体質に合わなかったから、それこそ権利を放棄してブラブラしていた。そしたら、趣味の合う人も結構いたし、俺好みの事柄にもいろいろと出合えた。まあ、緩い時代ではあったんでしょうけれど。そんな話を今、講演会などですると、「五味さんのように才能がある人はいいけど私たちのような一般人は」とか、「そんなことしたら子供がめちゃくちゃになっちゃうんじゃないですか」とか、それこそ文部科学省が大喜びするようなことを言う大人がかなり多い。どうして子供のそのままを信じられないのかな。もっと根本から考えられないのかな。大人の言い訳ばかりが先に立つ。いつも、五味さんの意見には共鳴します、「でも」なんだよ

大人という立場の人は、「こうあるべき」論でいきたいんだろうし、善悪ですべてを通したいのだろうけれど、これが実は余計なんだよ。そういうことに気がついたのは、僕が趣味で描く絵本の世界が“子供の文化”として括られていることを知ったから。子供が好きで読むならともかく、大人が子供に本を与えてあげることが善であるみたいな考え方、本質的に違うよね。それが正しいことだ、そうするべきだなんて、なんで多くの人が思い込んでしまうんだろう。結局、それぞれの「好み」でしょ。俺は自分の考えで説得するっていうのはあまり好きじゃないけれど、上から目線で「これが正しい」とかって言われちゃうと、反論したくなるよね。考えてごらんよ、こんなに日常生活と関わっている学校制度なのに、夏休みが楽しみとか、明日はお休みで嬉しいとか、多くの子供たちが学校が無い日を待ち遠しく思いながら学校に通っている。それって何だろう。学校なんて、給食も食べられるし、プールもあるし、学校もある暮らしってちょっといいよねっていうぐらいのもの。それは子供の義務でもなんでもない、権利なんだよ、という話をみんな好まない。