2021.01.08
# 野球

プロ野球「歴史に残る大乱闘」が、西武ライオンズの前身を救った意外な内幕

プロ野球・裏面史探偵(1)

両チーム入り乱れたバトルロイヤル

たったひとつのプレーが、球史に残る遺恨劇に発展し、後世にまで語り継がれるとは、当事者自身、思いもよらない顛末だったに違いない。

1974年4月27日、川崎球場。ロッテ対太平洋クラブ。事件は1対1で迎えた4回裏に起きた。一死三塁のチャンスでロッテの9番打者・成田文男は太平洋クラブの右腕・加藤初からレフトへフライを打ち上げた。三塁走者は俊足の弘田澄男だ。

定位置のフライゆえ、弘田は「スライディングの必要はない」と判断した。

太平洋クラブのキャッチャー宮寺勝利は、「スライディングされたら、もう何もできん」と考えた。

「1点は仕方ないやろ……」

ボールはレフトの東田正義からサードのドン・ビュフォードを経由して宮寺へ。ホームベースの右側に立っていた宮寺はブロックの態勢に入ろうとし、左足を出した。これが走り抜けようとしていた弘田の左足をすくった。弘田は空中で一回転し、ドスンと尻から地面に叩き付けられた。

1970年ごろ元太平洋クラブライオンズのドン・ビュフォード選手[Photo by gettyimages]
 

この行為を故意と判断したロッテの監督・金田正一は烈火のごとく怒り、一塁コーチスボックスから猛ダッシュして宮寺を蹴り上げ、掴みかかろうとした。

その金田目がけて、ビュフォードが襲いかかる。アメリカンフットボール流のタックルで金田を引っくり返し、首を絞め上げた。

それを合図に両軍のベンチは空っぽになり、殴る蹴るのバトルロイヤルは数分間にわたって続いた。球史に残る大乱闘である。

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