石井妙子氏は『女帝 小池百合子』の最終盤で、こう書く。
石井氏は『女帝』の執筆にあたり、小池氏の著書や都議会での議事録なども読み込み、フェミニズムの観点から、女性学研究者の田嶋陽子氏にも話を聞いたという。都知事選に関する毎日新聞のインタビューでもそのことに触れている。
「そこで浮かび上がってきたのは、永田町という究極の男社会の中で、居並ぶ男たちと対立せず、むしろすり寄ることで、より高い地位を目指そうとする女性政治家の姿」であるとしているが、別にそれは田嶋氏に聞かずともわかるだろう。
その上で石井氏は、「小池氏は男性中心社会が作り出してしまったスターであり、モンスターだと思います。男社会とは正面から戦わず、男の人にひっぱってもらって泳いできた」という。
そして、小池氏の「活躍」は男性社会が作り上げたものであり、決して実力ではない。男を踏み台にして得た鑞(ろう)で作った「イカロスの翼」で太陽に近づいていく小池氏は「自分たちとは違う」と、論を展開していく。そこに、ゆがんだミソジニーを感じるのは私だけだろうか?
社会学者・江原由美子氏はミソジニーの概念を説明した上で、女性政治家に対するメディア上の「ミソジニー」についてもこう言及している(参照「『ミソジニー』って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか?」)。
女性に関わるメディア報道、特に女性についての政策や女性政治家に関する報道に見られるミソジニー。
斎藤氏が「フェアじゃない」とするのも、そこにあるだろう。そもそも『女帝』という、大仰な、決して歓迎されない称号を書名とすること自体に違和感を持つ。