傷ついていた私と、どん底だった夫

その後、何度か番組での共演を経ながら、グッと夫との距離が縮まったのが、2011年のNHK-BSの『熱中スタジアム』という番組だ。この番組は、一つのテーマについて50名のその分野に熱中している一般人や専門家がパネラーとして参加し、そのテーマについて熱弁、夫が司会で場を仕切るという番組だった。

私は代打のアシスタントとして度々お邪魔した。夫は当時28歳ほどの若さで、50名の尊敬すべきマニアックな方たちを仕切る役割を任されおり、それは並大抵のことではなく、「すごいな」と思っていた。

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私はその当時、2011年3月に起こった東日本大震災で、心がかなり傷ついていた。地元の岩手県を襲った大地震と大津波。内陸部に住む家族は幸い無事だったが、震災直後は音信不通が続き、強烈な喪失感が私を襲った。それまで心の支えで何よりも大切で盤石だと思っていた家族の存在が、何かをきっかけにポロポロと崩れてしまう、脆さのような物を感じた。

その震災の後はしばらく心から笑えない日々が続いた。「なんとかこの状況を打破しなくては」そんなことを強烈に考えていた日々だったと思う。そして私が頭の片隅に考えていたことは、「家族を作らなくちゃ」だった。

時を同じくして、夫は悩んでいた。2011年、藤森さんがチャラ男として大ブレークしていた。震災後、心から笑えなかった私だったが、チャラ男の軽い感じと、「思い悩んだってしょうがないよ、ボクちゃん見てちょーだい!」みたいな雰囲気に大いに励まされた。その一方で、夫は「相方はチャラ男だが、俺は何男(なにお)なんだ」と悩んでいたのだそうだ。

私からすると、夫は夫で、着実にクイズ番組に出たり、コント番組でBLキャラを演じたり、チャラ男の横でツッコミながら役割を堅実にこなす相方として、テレビ出演も増えてきていたように感じていたが、心の奥底では、輝く相方の隣で自分が確立できていないような気持ちで、ずっと虚しくてどん底だったと後から語っている。

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その当時、「芸人交換日記」という企画をテレビで見ていた。オリラジが、「武勇伝の大ブレークに陰りが見え始めた時、すごくコンビの関係が悪くなった。俺は藤森に『こうしろ、ああしろ』と指図して、なんとかコンビを軌道に乗せたいと必死だった。でも藤森はいつまでも指図して欲しくない、と反発した。確かにあの時の俺の態度、良くなかったよな。そんな俺が今はチャラ男でブレークするお前に支えてもらってるなんてな。あの時はごめんな」という内容で、交換日記をしていた。

私はテレビで見ていただけだが、”中田さんはこんな大衆の目に触れる番組で一番見せたくないはずの自分の弱さを吐ける、なんて素直な人なんだろう”と感じた。