写真:大坪尚人(講談社写真部)

不良債権最後の山場「ダイエー危機」に三井住友銀・西川善文がとった策

ベスト書再読『ザ・ラストバンカー』3
「不良債権と寝た男」の異名を取った三井住友銀行元頭取・西川善文が不良債権問題にかかわった期間は、まさに異名通り、頭取の八年間を含めて三〇年に及んだ。とくに一九九〇年代から二〇〇〇年代前半にかけては、バブル経済の崩壊にともなう不良債権の激増に苦悶する毎日となった。西川善文の回顧録『ザ・ラストバンカー』から、土地神話の破綻から生まれたダイエー危機への対応の舞台裏をご紹介しよう。

二兆五六〇〇億円もの金融債務

金融業界の構造改革と不良債権の処理問題が重なる形で押し寄せてくるので、仕事に息つく暇がない日々が続いた。不良債権問題は依然として深刻だった。

 

不良債権処理で私たちの頭を最も悩ませたのがダイエーだった。ダイエーは一九五七(昭和三二)年に中内㓛(なかうち・いさお)さんが創業し、「価格破壊」を謳って九五(平成七)年二月期には連結売上高が三兆二〇〇〇億円にも及んだ。しかし、その一方で、巨額の有利子負債がバブル崩壊や売上減によってダイエーを大きく蝕んでいた。「バブル時代の負の遺産」とまで言われた同社には、二〇〇一(平成一三)年二月には二兆五六〇〇億円もの金融債務があった。このため、三井住友を含めた主力行三行は〇二(平成一四)年一月、五二〇〇億円の債権放棄に応じた。しかしそれでも依然として危機は収まらなかった。

ダイエー危機が長引いた最大の原因は、ダイエーが大量の不動産を持っていたことだ。同じ業態のイトーヨーカ堂が、ディベロッパーが開発したショッピングセンターに出店するなどして店舗を借りていたのに対して、ダイエーの店舗はすべて用地まで取得し自前のものだった。

これは一九八〇年代までの土地神話に根ざしたビジネスモデルだったと言える。不動産の価値が上がれば、それを担保にして銀行からお金を借り、次の店舗展開ができる。その不動産も価値が上がればさらに次へという好循環が続けば、どんどん店舗を出すことができる。その頃のダイエーはとにかく新しい店舗用不動産を次々に手に入れていた。

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/