「船酔い」「食料」「排泄物」で検証する「蒙古襲来」「秀吉の大返し」

かつてない「歴史科学」がいま始まった!
ノンフィクション作家・山根一眞氏と『日本史サイエンス』の著者・播田安弘氏の特別対談。第一回はこちらから。

元寇で蒙古軍が敗退した最大の原因は「神風」ではなく「造船」にあったことを緻密な計算で解いてみせてくれた『日本史サイエンス』(講談社ブルーバックス)。その手法に感動、著者、播田安弘さんにぜひ会いたいという希望が実現した。

播田さんは、造船エンジニアならでは長年の知識、経験をもとにCGで蒙古軍船を復元し、その脆弱性をあぶり出している。さらに、その軍船の能力をもとに蒙古軍の兵力を検証、博多への上陸時、上陸後の軍勢を描く。それは、私たちが漠然と理解していた蒙古襲来とはかけ離れた仮説で、痛快きわまりないものだった。

『蒙古襲来絵詞』の伝えられていない「続きの場面」

山根 蒙古軍の陣容は大型軍船300隻、小型上陸艇300隻、水汲み艇300隻、合計900隻と言われてきた。それは、造船内容の記録がある高麗の史書『高麗史』(1451年刊)によるそうですね。

播田 それはフビライが支配下の高麗へ下した要求、「発注内容」です。しかしそれほどの数は作れず、大型軍船はせいぜい半分の150隻。それに中古の中型軍船150隻を加えて軍船数は300隻だったと推定しました。

山根 播田さんは、大型軍船は全長28m、幅9mで、1隻あたり兵士と兵站兵120名、船員60名、合計180名が乗船していたと推定されていますが。

播田 蒙古襲来は2度にわたりましたが(1274年文永の役、1281年弘安の役)、文永の役の蒙古軍勢は4万人、弘安の役では10万人としているケースが多いんです。しかし私の計算では、文永の役では2万6000人と見積もりました。軍馬の数も重要ですが、文永の役で捕虜になった蒙古軍兵士の「1隻あたり軍馬5頭」という証言をもとに、750頭前後を軍船に積んでいたとしました。

日本史サイエンス』の著者・播田安弘さん

山根 これまで歴史家が蒙古軍船の脆弱さに言及しなかったのは、襲来した蒙古軍はきわめて強力だったとすることで、それに勝った日本の力を強調したいという心理が働いたんですかね?

播田 そういう「心理」を思わせることはほかにもあります。『蒙古襲来絵詞』(宮内庁所蔵)には鎌倉武士が蒙古軍との一騎打ちで負けて敗退する様が表現されています。教科書にも掲載されている有名な絵です。しかしこれは絵巻なので続きがあって、その後、104騎もの鎌倉武士が反攻しているシーンが描かれているんですが、その部分はほとんど伝えられていません。

『蒙古襲来絵詞』の絵七 蒙古軍に一騎討ちを挑み絶体絶命となる竹崎季長。教科書にも載っている有名なシーン
『蒙古襲来絵詞』の絵五 白石勢の騎馬軍団が蒙古軍に集団突撃をかける
『蒙古襲来絵詞』の絵六 騎馬軍団に攻め込まれて逃げる蒙古軍
 

当初はさんざん負けていたとすれば最後に勝ったことが強調できるという、これも「心理」なのかもしれない。播田さんは、蒙古軍船の戦闘能力を単に軍船数や兵士数だけで見るのではなく、船に搭載する食料や水の量、さらに搭乗兵士たちのウンコの量まで計算しているのにも驚かされた。

播田 積載する荷物の容積、重さは船を設計する際に欠かせない基本データです。乗組員、乗船者数も重要です。航海日数に人数をかけ算すれば何キロの食料が必要かもわかります。ウンコも乗船者数に応じた汚水処理装置の容積を計算します。船はそれらの重量をもとに設計するものなんです。