写真:大坪尚人(講談社写真部)

三井住友銀行・西川善文が対峙した、減らない不良債権と批判の目

ベスト書再読『ザ・ラストバンカー』2
「不良債権と寝た男」の異名を取った三井住友銀行元頭取・西川善文が不良債権問題にかかわった期間は、まさに異名通り、頭取の八年間を含めて三〇年に及んだ。とくに一九九〇年代から二〇〇〇年代前半にかけては、バブル経済の崩壊にともなう不良債権の激増に苦悶する毎日となった。西川善文の回顧録『ザ・ラストバンカー』から、その一端がわかるパートをお届けする。

公的資金注入に向けられる世間の批判の目

世は平時ではなかった。金融界は、担保不動産と保有有価証券の資産価値下落に直面し、いつ果てるとも知れない破綻危機の恐怖や相次ぐ不祥事の発覚で騒然としていた。バブル崩壊によって日本経済はガタガタに崩れ、大企業も中小企業もどこも無傷ではいられなかった。大蔵省は一九九二(平成四)年秋に、大手二一行の九月末時点の不良債権額が一二兆三〇〇〇億円あるという試算を公表したが、それはかなり楽観的な見通しに過ぎなかった。後日談となるが、巽外夫さんが会長になった頃、私にこんな打ち明け話をしてくれた。

「実は九二年の八月に、宮澤(喜一)総理から軽井沢の別荘に招かれたことがあってね。行ってみると、そこには三菱、第一勧銀など大手行の頭取が全員、顔を揃えていた。不良債権を処理するための金融機関への公的資金注入についてどう思うか、内々の相談のようなものだったんだ」
「そんなことがあったのですか」
「頭取は皆、反対したよ。当時は財界も否定的だったからね。今思うと、あの時に決めておけば、こんな大騒ぎにならなかっただろうに」

宮澤喜一。Photo by GettyImages
 

宮澤首相は、軽井沢で開かれていた自民党の夏期セミナーで、「公的援助」という表現で公的資金投入に触れていたが、その前提として銀行首脳を呼んで極秘に会合を行っていたことはマスコミには一切漏れておらず、私もこのときが初耳だった。なぜ反対したのかについては聞かなかったが、公的資金が注入されるとトップの責任問題につながると懸念したのであろうし、世間はそれほど大手銀行に対して厳しい批判の目を向けていたのは間違いない。当時の巽頭取の忸怩(じくじ)たる思いが、このときの吐露につながったのかもしれない。