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中国という「横暴な国」は、「ジャイアンになったのび太」なのかもしれない

太平天国から見る現代中国

日本人にとって中国という国はわかりにくい。しかしこの国を「ジャイアンになったのび太」と捉えればうまく理解できるのではないか——。このほど『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)を上梓し、4月には『ラストエンペラーと近代中国』(講談社学術文庫)を世に問う国際基督教大学教授の菊池秀明氏が、太平天国と中国近代化の過程を振り返ることで、中国という国を様々な側面からえぐり、かの国との付き合い方を解説する。

 

「愚孝」ブームの裏側

最近、中国でよく使われる言葉に「愚孝(ぐこう)」がある。読んで字のごとく、愚かな孝行、間違った盲目的な孝行、孝行に失敗してしまうこと…といった意味で、中国の古典の中に出てくる言葉だ。現代中国では、長く続いた一人っ子政策の影響で、年老いた親の介護にかかる子供の負担とプレッシャーは大きく、子供の側はうまく介護を遂行できないのではないか、つまり介護において「愚孝」をおかしてしまうのではないかという大きな懸念や不安を抱えているのである。

また教育熱心な親の子供に対する重圧も大きく、受験に失敗するという「愚孝」をおかす不安に耐えかねて自殺する子供も後を絶たない。少子高齢化や受験戦争は日本も直面している問題だが、これが中国語になったとき、「愚孝」という古めかしい言葉で表現されてしまう。

近代の中国で「愚孝」が大きな問題になったのは今回が初めてではない。一九一○年代、中国の知識人が「民主と科学」をスローガンにかかげて新文化運動——儒教などの古い慣習・考え方を批判し、文学の振興などを図る運動——を行っていたころ、新聞紙上に自分の股の肉を割いて親に食べさせた子供を孝行者と称える記事が載った。

この古めかしい儒教的な考え方に囚われたグロテスクな事件を、批判的な視点で見た作家の魯迅は、作品『狂人日記』で、儒教の経典に「食人」という文字が浮かび上がるエピソードを描いた。彼によれば、儒教は「人を食う」文化であるという。

中国の人々は、親子間の断絶や価値観の違いについて考えるときに、「愚孝」という古典の概念を用いることですでに思考の枠組みをはめられてしまっている——すなわち、儒教的な発想に「食われて」しまっている。これが中国文明の恐ろしさであり、大きな問題だというのである。