私は、悪役とされることが多かった。住専問題では銀行は、住専に不良案件を押しつけた極悪人で、それに正義派で元日弁連会長の弁護士がマスコミの後ろ盾を得て挑むシナリオが描かれた。日本郵政社長時代には、私は国民の大切な財産でつくられた宿泊施設を破格の安値で売り飛ばし、歴史的な建造物まで破壊する男にされてしまった。さらに不良債権処理に伴う貸しはがしや銀行員の高給批判など悪役への攻撃材料には事欠かなかった。
毀誉褒貶は、人の世の性(さが)であり、これに抗するほど私は若くない。かといって毀誉褒貶を誇りとするほど私は野心家でもない。振り返ってみれば、今、そこにある難題と格闘を続け、その結果としてほめ言葉も悪評もいただいてきたにすぎない。
私自身はむしろ、銀行を取り巻く社会や経済の環境が根底から変わり続けるなかで、従来の枠に囚われずに思いの丈をためらわずに発し、実行できた幸せな時間であったと感じている。
大手銀行の頭取を務めた人間の自叙伝であるならば、大規模プロジェクトへの融資による日本産業への貢献とか、組織の飛躍的な拡大をもたらした経営策の実践とか、一つや二つは華やいだ話題があるものだが、本書ではそうしたことには触れていない。そういうことがなかったのではない。それを懐かしむほどのんびりとした時代ではなかったのだ。