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高尾山は元旦まで封鎖に…日本人はなぜ「山の神」に惹かれるのか

正月行事と年神〜山の宗教から考える〜

初日の出とご来光

二〇二一年正月。都内でも人気の初詣スポットの一つである東京八王子の高尾山では、新型コロナウィルス感染拡大防止のため大みそかから元日の朝まで山頂を封鎖するという。山腹に鎮座する薬王院では、いろいろと工夫しながら新年の祈祷を厳修(ごんしゅう)するらしいが、山頂での初日の出を楽しみにしていた多くの人々には、やはりがっかりのニュースだろう。初詣に限らず、現代の日本人はご来光が大好きだ。水平線からの勇壮な日の出を楽しめる太平洋岸にも各所に絶景ポイントがあるが、富士山を始めとして、山頂でのご来光を山行のクライマックスと考えている登山者は数知れない。

高尾山薬王院 photo by gettyimages

たしかに、昇りくる朝日のまとう空気感は格別だ。心洗われる気分になり、思わず手を合わせたくなる。それもまた、普段はあまり自覚することのない日本人の宗教心の発露と見ることもできよう。だが考えてみると、ご来光ファン(マニア?)の第一に目指すところはやはり絶景だろう。それが楽しめれば、海でも山でも場の持つ特別な意味はあまり関係ないのかもしれない。この意味で山頂での初日の出には観光的要素が強く、信仰登山の性格が薄れてゆく近代以降にとくに盛んになった、いわば今風の正月の過ごし方ということになる。

そもそも山の宗教の世界で、その奥深くに入り込み山頂に至るような厳しい修行をするのは夏の時期、だいたい新暦だと五月から八月の間である。山林修行者は秋の終わりに山を下り、春までの間は裾野に建立されたベースキャンプとしての里山寺社で過ごした。これが筆者の描いた山の宗教のプロトタイプである。もちろん長い歴史の中で、やがて厳しい冬の寒さに耐えながら通年を山上で過ごす久住者(くじゅうしゃ)らが現れてくる。

また低山や、冬もそれほど厳しい自然環境に晒されることのない山々では、春夏秋冬に峯入りが行われるようになった。出羽羽黒山はその代表的な例である。とはいえ多くの場合、あくまで冬は修行者にとって山に入る季節ではない。この点から考えても、元旦に山頂を目指してご来光に群がる光景を、それほど古くにさかのぼることはできないだろう。人々は山の存在を感じながらも、裾野の世界で年を越した。彼らはどのような行事を通じてゆく年を送り、くる年を迎えたのだろうか。

 

日本の伝統的な正月行事の背景に横たわる信仰世界のなかで、山の神の果たした役割は大きい。仏教は在来の宗教に大きな影響を与え、変容させていったものの、それは決して一方が他方を圧倒的な力で飲み込んでいったということではなく、双方が相手を抱き取り、歴史の中でハイブリッドな山の宗教の姿が生まれていったのである。このような側面は、里山寺社における正月行事にもっともよく表れている。ここでいったん山の世界を離れて里人の迎える正月の民俗に目を向け、やがて山の神への信仰へと立ち返ってみよう。