# 経済学 # 群像

「社会構想なき経済学」はもう要らない… 生ぬるい教養新書に死を!

DIG 現代新書クラシックス (1)
成田 悠輔 プロフィール

失敗を解消しようと政府に頼ったら頼ったで、政治家と官僚の非効率と汚職に苦しむことになる。政府の失敗VS.市場の失敗―今日でも答えの見つかっていない、経済体制論の課題が立ち上がる。

経済学の教科書を眺めると学術用語と数式で無味乾燥に語られるこれらの概念が、中学生でも読めるような言葉と算数とイラストで解説されていく。

「経済のことほど、わたしたちの生活と深く関係している側面はないにもかかわらず、それが、記事となり、書物となると、一般の人々から見向きもされない、というのは、いったい、なぜでしょうか」
(第2版 p.4)

この問題意識に駆り立てられた『経済学はむずかしくない』は、何を語るかではなく、どう語るかに注力する。どんな教科書にでも書いてあるふつうの経済学の概念体系でどう人々を振り向かせるかに腐心する。この目的のためには、なんの変哲もオリジナリティもないことがむしろ美徳となる。

どうしようもなく時代遅れになってしまった箇所も微笑ましい。

「インフレーションの心配は先進国ほど多く、現在の経済学界では、この問題をどう解決するかが、いちばん重要な現実的課題の一つとなっています」
(第2版p.208)

どうすればインフレを引き起こせるかがいちばん重要な現実的課題の一つとなり、日銀に続いて世界の中央銀行が現金バラマキに走る今日の世界との対照に微笑する。時代の呪縛から逃れられない経済学の運命を身をもって示しているようだ。

歩く太平洋

著者の都留重人は誰か。1912年に大分に生まれ名古屋で育った都留は、第八高等学校(現在の名古屋大学)在学中に日本の中国侵略に反対するストライキを起こして治安維持法違反で30年に検挙。反抗期のボンボン左翼らしく親の金でアメリカに渡り、35年にハーバード大学経済学部を卒業した。

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当時の超一級の経済学者たちと知り合い、生涯にわたる知り合い自慢のネタを得る。自身も学者として頭角をあらわしはじめたが、太平洋戦争勃発にともない42年の交換船で帰国、44年外務省に職を得る。

戦後は日本で政策と論壇を行き来する。47年に第一回「経済白書」を執筆、国民経済計算における三面等価の原則を考案(というより命名?)する。

ハーバードやイェールにも何度か滞在、国際的にもちょっとした存在感を示し、在米中にため込んだ白人男性スター経済学者との交友関係を国内にアピールしながら、政治・経済・外交を横断する岩波・朝日知識人へ。

戦後のオピニオン・リーダー(死語)となった。左翼・右翼を問わず、今と比べると驚くほど国際的で世界各地に出張っていた戦前生まれ知識人を象徴する一人だ。