photo by iStock
# 経済学 # 群像

「社会構想なき経済学」はもう要らない… 生ぬるい教養新書に死を!

DIG 現代新書クラシックス (1)
今月発売の「群像」1月号より、「現代新書クラシックスDIG」という連載が始まった。現代新書の古典・ロングセラーを1冊ずつとりあげ、それについて気鋭の研究者が自由に論考を展開するという企画だ。初回は、経済学者・成田悠輔さんに『経済学はむずかしくない』(都留重人著)を取り上げていただいた。

新書はもう死んでいる

新書は死んだ。新書という形態がはじまった1930年代、本屋にはびっしり2段組500ページみたいな文学書や哲学書があふれかえっていた。当時の文学や哲学は、いまでいえばゲームやユーチューブのような中毒コンテンツだ。

Photo by iStock
 

凶器のように重厚な本はRPGゲームの迷宮のような存在だったろう。そんな時代に現れた学問マニュアルとしての教養新書は、当時の読者に現代の15秒スマホ動画のような軽快感を与えたはずだ。

だが、時代は過ぎ去った。ほとんどの本が手軽に数時間で読めるようになったいま、新書という名前と形態はひどく残念に見えてしまう。自分のスタイルが新しいと掲げたまま惰性で老いてコモディティ化してしまった中高年のようだ。いったい新書にどんな役割が残されているというのだろう?

「なんの故障もない自動車をあやつるのには、ブレーキやギアやハンドルの使い方を知っていればよい。しかし、こわれた自動車を、ふたたび動かそうとするものは、エンジンの機構も知らねばなるまい」
(第2版 pp.103-104)

新書という壊れた仕組みをふたたび動かそうとするなら、機構を見つめ直さなければならない

逝きし世の面影

新書がまだかろうじて新しかった逝きし世の面影が垣間見えるのが、都留重人『経済学はむずかしくない』だ。講談社現代新書の通巻番号1番、第1版は1964年、第2版は74年。

世は全学連→全共闘→『神田川』の只中、深遠で難解に見えて単に混乱しているだけの頭の悪い散文や、いま読むと恥ずかしくて死にたくなってくるポエムが散乱していた。

それに比べ、『経済学はむずかしくない』の散文は無駄な深遠さともポエムとも程遠く、カルチャーセンターの丁寧な先生のような愚直さが光る。

軽い読み物かと油断していると、家庭や企業の最適行動理論、市場均衡理論、マクロ経済学、そして経済体制論の柱が意外に体系だっておさえられる。売上と「限界費用」や「平均費用」を見比べながら利潤最大化していく企業たち。

どこかにあるはずの「選好」にしたがってあたかも効用最大化しているかのように行動する消費者たち。そしてそれらが組み合わさって、価格というバロメーターを通じて「市場均衡」が作られる「神の見えざる手」。

しかし多くの場合、神の見えざる手は独占・寡占企業に縛られる。価格はバロメーター機能を失って高止まり、談合の見えざる手が経済をむしばむ。市場の失敗だ。

関連記事