永井荷風Vol.4
『断腸亭日乗』が刻む近代史。
「大逆事件」その時、文学者は

vol.3はこちらをご覧ください。

 荷風は、久しく途絶えていた日記を大正六年九月十六日から書きはじめ、以後、その死まで、書かない日はあるものの、持続して記すようになった。『断腸亭日乗』である。

 荷風の読者には、小説と同じか、あるいはそれ以上に『日乗』の読者が多いのではないか。近代史の基礎資料として原敬日記と共に書架に備えている研究者等は沢山いるだろう。

 荷風は、日記を書き出した頃、木挽町に格子戸づくりの二階屋を借りていた。病院通いの便のためである。

 七年の十二月、父から相続した牛込余丁町の屋敷を売却し、京橋区築地二丁目---通称「お妾横町」---に、屋敷を購入している。

 明けて大正八年十一月にはその築地の家にも飽きて、麻布市兵衛町一丁目の貸地を借りている。

 八年、荷風は劇評の座談会に出るぐらいでほとんど仕事らしい仕事をしていない。まとまったものとしては、年末に『改造』に発表された小文『花火』だけだろう。

敢えて声を上げた徳冨蘆花の言葉

 小文と書いたが、『花火』はかなり重要な作品である。荷風が自らの行き方、価値観を示した作品として位置づけられている。

 文章は、第一次世界大戦講和記念日の、花火の音ではじまる。世事にほとんど関心のない荷風も、反故で押入れの壁を繕いながら往時に思いを巡らす。明治二十三年の憲法発布の祝賀祭、大津事件、明治三十一年の奠都三十周年、明治三十七年、アメリカ滞在中に識った日露開戦・・・。

 「明治四十四年慶應義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走つて行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持のした事はなかつた。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。

 小説家ゾラはドレフュー事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。

 その頃からわたしは煙草入をさげ浮世絵を集め三味線をひきはじめた。わたしは江戸末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来ようが桜田御門で大老が暗殺されようがそんな事は下民の与り知つた事ではない---否とやかく申すのは却て畏多い事だと、すまして春本や春画をかいてゐた其の瞬間の胸中をば呆れるよりは寧ろ尊敬しようと思立つたのである」

 荷風は作家として、知識人として、当然声を上げるべき時に、声をださなかった自分には、文学を語る、あるいは作る資格はないのだ、と断じている。この反省が、どれほど大逆事件当時の、荷風自身の実情に近接しているかどうかは分からない。

 とはいえ、荷風はゾラの実例を引き合いに出し---フランスには、カラス事件におけるボルテールや、ナポレオン三世のクーデタを弾劾したビクトル・ユーゴーのような、権力を向こうに廻した文学者の抗議、抵抗の伝統が脈々とある---自らの「芸術の品位」を、引き下げなければならない、と考える、発想するだけの倫理があったのである。

 加えて、本格の文学者たる資格を持たない人間として、生きてゆく、つまり政治を語らず、理想を弁じない、太平の逸民として生きていくに如くはないという認識は、日本の言論が、いかに虚仮威しの、無内容極まりないものだったかを指し示している。

 『花火』は、新時代の予感を淡く描いて終わる。

 「病来久しく世間を見なかつたわたしは、此の日突然東京の街頭に曾て仏蘭西で見馴れたやうな浅葱の労働服をつけた職工の行列を目にして、世の中はかくまで変つたのかと云ふやうな気がした。目のさめたやうな気がした」

大逆事件 幸徳秋水らが明治天皇暗殺を企てたとして死刑に。写真は処刑地の市ヶ谷刑場跡

 大逆事件は、明治末の社会を震撼させ、荷風同様に、ほとんどの知識人は事件の規模の大きさ---実際には、その総ては幻のようなものだったのだが---に震撼し、十二人が死刑という判決に衝撃を受け、口を開く事が出来なかった。

 とはいえ、敢えて声を上げた者もいないではなかった。

 徳冨蘆花は、明治四十四年二月一日、処刑から一週間後、第一高等学校の学生会から招かれて、本郷の講堂に足を運んだ。

 講演の内容は、蘆花に任されていた。登壇した蘆花は、講壇に草稿を置くと、語りはじめた。

 「諸君、幸徳君等は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。『身を殺して魂を殺す能はざる者を恐るゝ勿れ』肉体の死は何でも無い。恐るべきは霊魂の死である。

 人が教へられたる信條のまゝに執着し、言はせらるゝ如く言ひ、為せらるゝ如くふるまひ、型から鋳出した人形の如く形式的に生活の安を偸んで、一切の自立自信、自化自発を失ふ時、即ち是れ霊魂の死である。我等は生きねばならぬ。生きる為に謀叛しなければならぬ。古人は云ふた如何なる真理にも停滞するな、停滞すれば墓となると。人生は解脱の連続である。

 如何に愛着する所のものでも脱ぎ棄てねばならぬ時がある。其は形式残つて生命去つた時である。『死にし者は死にし者に葬らせ』墓は常に後にしなければならぬ。(中略)諸君、幸徳君等は乱臣賊子として絞台の露と消えた。其行動について不満があるとしても、誰か志士として其動機を疑ひ得る。西郷も逆賊であつた。然し今日となつて見れば、逆賊でないこと西郷の如き者がある乎。幸徳等も誤つて乱臣賊子となつた。然し百年の公論は必其事を惜むで其志を悲しむであらう」(「謀叛論」)

 蘆花の言葉は、当時としては激烈なものだ。けれども、蘆花がこう語ったおかげで明治の日本、その志操と徳義はぎりぎりの面目を保った、と云う事も出来るだろう。もっとも校長だった新渡戸稲造は、大いに迷惑したのだが。

 近代日本を代表する知識人、言論人、徳富蘇峰の弟である蘆花は、兄とは正反対の反逆児として生涯を送った。その死の直前に和解するまで、政権与党、藩閥と深い関係にあった兄を批判し続けた。トルストイの心酔者であるとともに、その手になる『不如帰』は、日本の近代小説として、はじめて舞台化されている。
 

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