どんな年齢になっても安定なんて存在しない…老いてわかった現実

父の介護、母の介護、私の老い方(7)
荻野 アンナ プロフィール

がんの芽となった出来事

私の本格的な「老い」は3.11にさかのぼる。 

3月中に現地の惨状を目の当たりにし、極限状況での人間の在りようを、ぜひ伝えたいと心に決めた。要介護の母を抱えながら、現地との往復を繰り返し、6月には一冊を上梓した。無理に無理を重ねた上に、その年の秋から冬には辛い仕事が待っていた。

 

私は数年間、エネルギー関係の連載を持っていたが、その折、風力や火力はもちろん、原子力の取材もしている。記事は中立のつもりだが、かかわったという点で自分に非はあるのか。自身を断罪するつもりで書いた小説が、私のその後のがんの芽となった気がする。

翌年の初夏、大腸がんは5センチに育った状態で発見された。手術の後はみっちり抗がん剤治療を受け、すでに8年が経つ。

今、8年前の写真を見ると「若いな」と思う。ひとつには、体重の問題がある。ホームドクターによると、胃がん経験者は消化器を取った影響で痩せたままでいる。

大腸がんの場合は胃がキープされており、おまけに栄養分を奪っていたがんが消滅したとあって、体重がみるみる増える。

私の場合はこれに両親を送り終わった安心感と、鬱が加わる。鬱の薬によっては、やる気と同時に食欲を増加させるものがあるのだ。

お元気そうですね

会う人ごとに言われる。ありがたいことだが、「太りましたね」のニュアンスもある。太ったけれど、以前のような徹夜は効かない。体力の容量が限られているのを、小出しにしている感がある。

鏡を眺めるたび、うれしくない驚きが

目と歯は老いの指標と言われるが、視力がガタンと落ちたのも、がんの後だ。それまでは必要な時だけ老眼鏡を掛けていたのが、遠近両用を手放せなくなった。両目1.5を誇っていたのが、今では眼鏡があっても1.0に届かない。

これではサバンナで遠くに現れたライオンを見分けることが出来ない。生物として劣化した、とたまに悲しくなるが、子どもの頃から近視の人を思えば贅沢は言えない。

抗がん剤の副作用で、しばらく手足に痺れが残った。手は回復したが、足にはまだ見えない重りが付いている。どちらかといえば早歩きだったのが、たいていの人に抜かれてしまうようになった。本気で走ることもしなくなった。

足の重さに反比例して安定が悪いので、すぐ転ぶ。その跡がまた派手な紫のアザになる。アザは薬で白血球が減った時、体の思わぬ部分に散見したが、以来、アザのできやすい体質になったのかもしれない。

毎年の健康診断の結果は、Aばかりだったのが、ここ数年はBとCがちらほら混じるようになって、メタボ寸前でかろうじて堪えている。

そして鏡を眺めるたび、うれしくない驚きが待っている。何年前だろうか。肌に薄いそばかす状のシミが広がっているのに気づいた。

1日でシミだらけになるわけがない、と分かってはいるのだが、比較的短期間に表皮に出てきたもののようで、晴天の霹靂に近い心境だった。

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