草津を「セカンドレイプの町」と断定…冷静さを失うリベラルへの疑問

これは「人民裁判」同然ではないか?
御田寺 圭 プロフィール

現代社会では、多くの人びとから「かわいそう」という同情や共感を集められる存在と、そうでない存在との権利や主張がバッティングしてしまった場合、法的あるいは民主主義的なプロセスが採用されることなく、前者の主張に後者が無条件の譲歩を迫られることがしばしばある。「草津町#MeToo事件」はその好例であるだろう。

草津町長はなんの根拠もなく、法的手続きもなしに「性犯罪者」の汚名を着せられるし、リコールされた町議の告発の内容および根拠の不確かさや矛盾点に基づき、批判的あるいは懐疑的な態度を表明することは、それだけで「ミソジニスト(女性蔑視者)」として糾弾される。まして「冤罪なのではないか?」などと言おうものなら「セカンドレイピスト」として一緒に吊るし上げられ、社会的生命を抹殺されてしまうこと請け合いだ。

人権国家、民主主義社会を標榜する日本でいま、「お気持ち」をより多く束ねる者が真実であり正義となる「お気持ち人民裁判」が起きているのである。

 

「男は推定有罪」がもたらす結末

もっとも「お気持ち人民裁判」に参加する人びとは、けっして悪意があってそうしているわけではない。むしろ心からの善意によって、自分はただしいことをしている、世のため人のため、人の尊厳のため、社会正義のために行動していると信じている。

「#草津温泉には行かない」「#草津温泉ボイコット」「#セカンドレイプの町草津」などと物騒なハッシュタグを喧伝する人びとからも、とりわけ邪(よこしま)な動機を感じることはない。お人好しで共感的な人びとが、あくまで善意のもとで行っているのだろうと容易に想像できる。

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