孤独の似合う女でありたい、孤独死も悪くない… 荻野アンナの孤独論

父の介護、母の介護、私の老い方(5)
老年の孤独は、30年近くかけて避けようとしてきたが、気がつけば60歳となり老年が始まるというのに、気持ちは不思議と晴れやかだった――芥川賞作家の荻野アンナさんが、女優のリリアン・ギッシュや作家の永井荷風の生き方を振り返りながら、老い方と孤独との付き合い方について考えます。

自由の満喫、孤独の苦しみ

昔、北海道に高齢の知人Kさんがいた。ベレー帽の似合うその女性は、高校の国語教師をして、独身を通した。私は年下の友人として可愛がってもらい、自宅にも呼ばれた。

マンションの一室には埃ひとつ落ちていない。全体を5つのブロックに分け、月曜日から金曜日まで、今日は寝室、明日は台所、と順に掃除していく。土日は休む。こうして曜日の感覚を保つことでボケ防止にもなる。同じ理由で、ひな祭りなどの年中行儀もこまめに祝う。

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日曜日には20分かけてデパートまでを歩く。一週間ぶんの買い物を済ませ、帰りはタクシーを使う。特別な運動はしないが、気が向けば5分間ほど自己流の「ダンス」を踊る。

酒はたしなむ程度だが、日本酒にワイン、ブランデーも置いてある。たまに掌に収まりそうな小さい缶でビールもいただく。「不良なのよ」と微笑んでみせた。

Kさんは本来虚弱な体質だから、そのぶん注意に注意を重ねてきた。一度心臓が「バクバク」したが、20年来のかかりつけの医師が自宅まで来て点滴をしてくれた。翌日からは看護師が入れ替わり立ち代わりで、入院せずに完治した。その間の買い物は、行きつけのデパートの店が、気を利かせて配達してくれた。

背筋の伸びた人だったが、自宅で尻もちをついたら「圧迫骨折」となった。胸椎と腰椎が「変なふうにドッキング」して、コブのように見える。それでも「ダンス」を始めると、体にしなやかさが戻り、前屈で手が床につく。

理想の老年、と言いたいところだが、本人は二言目には「寂しいわよ」と感に堪えないように言う。弟が同じ北海道で、甥や姪もいるが、会う機会は少ない。両親を看取ったのは彼女で、弟夫婦は「何もしてくれなかった」

数年おきにエッセイを自費出版しているが、いずれも表紙は弟の油絵だから、関係は良好なのだろう。

Kさんは「風来坊」を自任しており、群れるのは好まなかった。高校を定年で引くと、講師の話もあったが断ってしまった。しがらみのない自由な暮らしを満喫し、「雨なら雨で、晴れたら晴れたで嬉しかった」

一方で孤独にひどく苦しめられてもいた。

「女ひとりは、よほど強くないとやっていけません」

老人は後に続く人々に対して指標の役割を果たす。Kさんの「寂しいわよ」はまだ30代だった私の胸に深く刻まれて、その跡は時々うずいた。

慈愛の人だった恩師

遡って、フランス留学中は女子師範学校の女子寮にいたが、そこではV先生にお世話になった。瓶底眼鏡で化粧っ気はないが、痩身に白いシャツが似合う。

先生も、一人暮らしの自宅に私を呼んでくれた。私が帰国して教え始めてからは、たまに行ったパリで先生のお宅を訪ねた。そうすると、学生の間はしなかったような個人的なことも話してくれるようになった。

V先生は若くして結婚した。子どもが生まれてからも勉強を続ける先生に、夫側はいい顔をしなかった。

「女にそこまでの学問はいらない」

かつての日本で通用していた一言は、昔のフランスにも当てはまったのである。先生は離婚してひとり娘を育て上げた。それからは学問一筋である。

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