2021.01.01
# 日本史

『源氏物語』になぜか「おせち料理」が登場しない…? その意外な理由

平安時代からある「御節供」とは

「おせち料理」のはじまり

元旦にならぶ「おせち料理」が、正月をいろどる料理となったのは、意外にも「昭和」のアジア・太平洋戦争後のことでしかなかった。その実体は、家庭で作るものとしてではなく、デパートで売り出されることによって一般化したもの。

つまり、現在の形の「おせち料理」はたかだか70年足らずの歴史しかもっていないことになる。日本人はどうも、思い込みが強すぎる癖があるようだ。何事もずっと以前から、遠い昔から、今のままあったように、勘違いしてしまうのである。

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そういえば、「新年を祝う」という「祝う」は、喜び合うことの意味として今は使われているが、もともと言葉として発生したおりは「呪術を行う」という意味で「斎ふ(いはふ)」と記された。

“よいことが起こりますように”との祈りを心に、お祭りをして物を供えたり、歌ったり、踊りをしたことに由来していた。

 

「おせち」(「御節供(おせちく)」の略)も同様であった。

朝廷の節日の宴会(節会)のごちそうは、紫式部が『源氏物語』を書いた平安時代中期の、1月1日、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)のそれぞれの節日に、朝廷で神前に食物を供え、「斎ふ」ための料理を作って宴会を催したことに始まっている。

では、なぜこの日なのか。

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