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江戸時代から愛され続ける和菓子の「榮太樓」社長に聞く、老舗経営の秘訣

伝統も新しさも大切に

文政元年(1818年)の創業以来、和菓子を商う榮太樓總本鋪・細田眞社長(66歳)を取材した。創業時の屋号は井筒屋だったが、3代目の細田安兵衛(幼名・榮太郎)が日本橋に屋台店を開くと、気前がよい彼の金鍔は「大きくて味がよい」と評判に。安兵衛が親孝行する姿も江戸っ子の心を捉え、皆はいつしか彼の店を「榮太郎の店」と呼ぶようになったという。そして今は、餅が隠れるほど海苔や鰹節が載ったお団子や、飴の蜜がたっぷりかかったソフトクリームなどの新商品も大人気。社長に老舗経営の秘訣を聞いた。

銀座には高級品が、日本橋には一流品がある

日本橋の魚河岸で働く江戸っ子は、安くておいしい実利的なものを好みました。3代目の金鍔が人気になったのも、当時は貴重だった砂糖をふんだんに使うなど、値段以上の価値があったからでしょう。

そして当社は今も、この「値段以上」を大切にしています。例えば素材。黒糖は沖縄の離島、小豆なら北海道の十勝を訪ね、自社の菓子に向いたものを厳選します。さらに生産者と我々が「お互いのファンになった状態」を作り上げるのです。

例えば、生産者に商品を送ると、それをもとに皆さん様々な工夫をしてくれます。当社の社員には「銀座には高級品が、日本橋には一流品がある」と話しています。「おいしいけど値段は手頃に」、当社はそんなお客様に鍛えられてきたのでしょう。

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企業として新しいものが大好きで、例えば水羊羹をイージーオープンの缶に入れたのは、多分、当社が元祖です。

'60年代、冬の閑散期に水羊羹を作ろうと先代が缶のメーカーに相談すると、蓋が難しく「品質保証はできない」と言われたらしい。そこで先代が蓋を米国から輸入して製品化したのです。

ただし、当時の缶が残っていないので証明はできません(笑)。羊羹をアルミ材質パックに充填して売ったのも当社が最初のはずです。父から「歯磨き粉をチューブに詰める機械を展示会で見て思いついた」と聞きました。

 

私が製造責任者の時は、コンビニやスーパーで販売する飴の製造を始めていますし、ほかのお菓子も「榮太樓が出すなら何か新しいものを」と必ず一工夫加えています。

団子やソフトクリームの見た目も一風変わっていますが、例えばどら焼きも、一部店舗で販売しているものは、あんに生クリームをミックスし、他にはない味に仕上げています。新しいものが好きなせいでとにかく試食が多くなり、困っているくらいです。