“運命の地・日本”で夢を追う、あるドミニカ人ボクサーの闘い

あしたのリングに上がるために(前編)

“デスティノ・ジャパン”という不思議なリングネームを持つ外国人ボクサーがいる。Destinoとは、スペイン語で「運命」「目的地」という意味だ。すなわち――“運命の地・日本”。2015年、ポケットに20ドルというわずかな所持金だけで来日したボクサーが、いま、祖国ドミニカ共和国でリングに上がろうとしている。

実力派ドミニカンボクサー 不遇の時代

デスティノ(本名、ブラディミール・バエス)は、カリブ諸国のひとつ、ドミニカ共和国のラ・ベガという地方都市で、10人きょうだいの3番目として生まれ育った。

パン屋を営む家庭は貧しく、学校も満足に通えなかったが、14歳で本格的にボクシングを始めるとすぐに頭角を現し、2004年、20歳の時にはドミニカ共和国代表としてアテネ五輪に参加した。

ちなみに、別階級で同国代表のオリンピアンとして戦った仲間には、ボクシングファンなら誰もが知る元WBA世界バンタム級スーパー王者のファン・カルロス・パヤノがいる。パヤノは2018年に行われたWBA&IBF王者・井上尚弥との一戦でも注目を集めた。

「パヤノは同じ町出身の幼なじみ。今でも一番の親友」だと言う。

アマチュアでは200戦以上をこなした。そして、180勝以上という驚異的な戦績を上げ、鳴り物入りでプロに転向すると、デスティノは25歳でドミニカ共和国内のスーパーライト級王者となる。

しかし、その強さがアダとなった。対戦を希望する選手がいなくなってしまったのだ。プロボクシングには往々にしてこのような悲劇が起きる。いくら強くても、試合が組めなければ、さらなる高みを目指すこともできず、稼ぐこともできない。プロモーターにも恵まれなかった。

パヤノら同郷のボクサーたちが、地域タイトルや世界タイトルを賭けて活躍するのを横目に、デスティノは実家のベーカリーや理髪店で必死に働いた。家族の生活を支えるためには自分が働くしかなかった。ボクサーとしての成熟期に約2年ものブランクを作ってしまった。

「ボクシングを諦めかけていた時期があった」と本人も振り返る。

 

そんな時だった。知り合いのボクサーから「日本でならボクシングができるかもしれない」と聞いた。