赤穂浪士討ち入りの理由は「忠義」じゃない? 実は誤解だらけの「忠臣蔵」の真実

当時は武士の間で「殉死」ブーム
加来 耕三 プロフィール

主人というより己れのため?

これは安兵衛だけの理屈ではあるまい、四十七士に共通する感情であり、その最大の具現者、「かぶき者」こそが、頭領の“家老”大石内蔵助ではなかったろうか。

東京泉岳寺には赤穂浪士が眠る墓がある/photo by iStock

内蔵助は譜代の家老であったが、当時の藩を引っ張っていたのは、一代家老の大野九郎兵衛であった。内蔵助は出る幕がなく、それゆえに「昼行灯(ひるあんどん)」と渾名されてもいた。ところが、主君が不意に上野介に「喧嘩」を売った。

しかも、喧嘩両成敗であるにもかかわらず、幕府は一方の上野介を罰しない。これでは赤穂武士の面子が立たない、となったとき、初めて内蔵助は己れのやるべき役割を自覚したのではあるまいか。

「殿の喧嘩を引き継ぐ」――これは譜代の、それも「かぶき者」の家老にしかできない。

「喧嘩」をするからには、勝たねば意味がなかった。「かぶき者」が無鉄砲に、三々五々、吉良邸へ討ちかかって失敗でもすれば、赤穂武士の恥の上塗りになりかねない。

 

開城―浅野家再興と、面子を立てる手順を踏みつつ、内蔵助は上野介の身辺を探索していく。

こうした内蔵助の「かぶき者」ぶりは、「喧嘩」途中の祇園や島原、伏見での派手な遊びにも、その人柄が垣間見えよう。

彼は幕府の目をごまかそうと芝居をしたのではなく、むしろ、“傾く(かぶく)”己れを世間に見せつけたかったのではあるまいか。内蔵助は見事に己れの「喧嘩」に勝ち、後世社会はこの人物を“忠臣蔵”の主役に据えたわけだ。    

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