200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ

近代社会の「原理」とは何か?
竹田 青嗣, 西研 プロフィール

ヘーゲル哲学体系

ヘーゲル『法の哲学』の最大の功績は、ルソーによっておかれた「万人の自由」を実現する社会という構想を、人間の「自由」の本質論として哲学的に基礎づけなおし、これを「近代国家」の根本理論、つまりその「正しさ・権利・法」の公準・・の理論としてはじめて哲学的に定義した点にある。

しかし、『法の哲学』を「自由な近代国家」の本質的範例として読もうとするとき、二つの大きな困難があり、この困難を適切にクリアしつつ進まないと、『法の哲学』の重要な核心を捉えることはむずかしい。

第一に、ヘーゲルの"有神論的"世界体系である(これはヘーゲルにいたるまで、どの哲学者もその引力圏を脱することのできなかった、強固なヨーロッパの世界像だった)。すなわち、ヘーゲルでは、世界はそれ自体「絶対精神」(=世界精神)とよばれる実体であり、「絶対精神」は、たえずより普遍的なものへと向かう「自由な精神の運動」をその本質としている。

人間の精神は「絶対精神」の本質を分有し、歴史や社会を通して、この「世界精神」の本質を実現してゆく主体である、とされる。ここからまた、世界史は、「世界精神」の本質が、人間の営みを介して、「普遍的自由」(万人の自由の解放)を可能にする運動にほかならない。

この構図は現在ではもちろん荒唐無稽であり、こうした独自の世界体系の構図が、ヘーゲル哲学をきわめて読みにくくしそのエッセンスを覆い隠しているのだ。そのためわれわれは、この有神論的な「世界精神の体系」のいわば「甲殻」を適切に取り除きつつ、ヘーゲルを読む必要がある

第二に、これはすでに触れたが、近代国家を「普遍的自由」の実現をその根本本質とするという点では一致しながら、「一般意志」から現われるルソーの「人民主権」の国家と、「人倫国家」の概念からくるヘーゲルの君主国家論の分裂である。この分裂の本質的な理由を理解することは重要なので、第三部解説で、当時の時代背景などとあわせてややくわしい解説をおいた。

 

ルソーとヘーゲルを今読むべき理由

われわれはいま、「国家」についての本質的理論を切実に必要としている。この新しい国家の理論は、ヘーゲル自身が強調するように、これまでおびただしく現われていた、希望や理想の国家論、あるいは、国家はいかに人々を支配し抑圧してきたか、といった議論に終わってはならない。

こうした主張の底にあるのは、人間は本来自由かつ平等であるべきであるという素朴な「当為」あるいは「希望」の理論にすぎないからだ。

新しい国家の本質論は、哲学的な「原理」として提示されなくてはならない。すなわち、人々が真の意味で「自由な生」を生きうるためには、どのような社会がその原理となるかという、条件的な必然性・・・・・・・の理論でなくてはならない。

かつて近代国家の黎明期、近代哲学の出現の時期にまさしくそうであったように、いま世界中の多くの人間が、現代資本主義社会の矛盾は必ず克服されねばならないと考えている。ここには大きな希望がある。未来の人間社会について、根源的な展望と構想を創り出そうとするものは、いまルソーとヘーゲルの国家論からもういちど出発し直さなくてはならない。

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