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200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ

近代社会の「原理」とは何か?

現代資本主義は、富の格差の一方的な拡大を抑止できないことによって大きな矛盾を露呈し、現代の民主主義の理念に深刻な疑義がもたらされています。そんな今だからこそ、近代政治の本質理論としての民主主義理念の内実を本質的に吟味しなおす必要があると、著者の一人である竹田青嗣さんは言います。現代に生きるわれわれは『法の哲学』から何を学びうるのでしょうか?
近代哲学の重要な原理を平易に読み解く大好評シリーズ第4弾!本日発売の『超解読! はじめてのヘーゲル『法の哲学』』より「まえがき」を一部抜粋してお届けします。

いまなぜ『法の哲学』か

われわれ(竹田・西)は、すでにヘーゲルの『精神現象学』の超解読版を出しているが、もう一つの代表作『法の哲学』の超解読版をなんとしても出したいという思いを長くもっていた。

その理由は、ルソーの『社会契約論』とヘーゲル『法の哲学』は、現代の市民国家あるいは民主主義国家の「正当性」を根拠づける最も本質的な社会哲学であること、しかもそのことが、現代の社会ー政治理論ではほとんど看過されており、これを明確にすることにはきわめて現代的な意義があると考えるからだ。

われわれがそのように考える背景は、以下である。

ソビエト連邦の崩壊による冷戦の終結以後、ひとたびは、世界のイデオロギー対立は終焉し、民主主義の政治理念が最終的な勝利を得たかのように見えた。しかしその後の世界の展開はまったく新しい様相を示している。現代資本主義は、富の格差の一方的な拡大を抑止できないことによって大きな矛盾を露呈し、このことは、現代の民主主義の理念に深刻な疑義をもたらしている。

すなわち、われわれは、さしあたり民主主義以上の妥当な政治理念をもたないのだが、にもかかわらず、右に述べた理由で、民主主義理念はそれが内在する矛盾を克服できないのではないか、という大きな疑問にさらされているからだ。

富の過剰な一極集中の傾向を拡大する現代資本主義の進行は、やがて自由と民主主義の体制を崩壊させるだろうという危惧の声は、いまではさまざまな場所から発せられている。しかし、じつのところ、この危機を克服すべき民主主義政治の根本理念は、明確な形では、まだどこにも示されていない。その理由は明らかである。

 

看過されるホッブズ、ルソー、ヘーゲル

20世紀のヨーロッパの社会思想は、マルクス主義とポストモダン思想がその正統を担ってきたが、両者はともに、近代民主主義の原理を一種欺瞞的なものとして強く批判してきた。にもかかわらずわれわれは、これに代わりうる新しい政治理念を見出せないでいるからだ。

民主主義を基礎理念とする政治思想は、ヨーロッパではなく、主としてアメリカで展開を見せたが(ロールズをはじめとするアメリカの現代政治思想)、ここでは、明らかにロックとカントが理論的基礎とされ、驚くべきことにホッブズ、ルソー、ヘーゲルは完全に看過されている。

ヘーゲル(Photo by gettyimages)

彼らの考えを基礎とする民主主義理論は、現在、ほとんど見あたらない。ヨーロッパにおける民主主義の擁護者と見なされるヴェーバー、アレント、ハーバーマスなども同様であり、むしろここではルソーやヘーゲル批判が通例である。

こうした現代政治理論の一般的状況は、われわれ(竹田・西)にとってはきわめて驚くべきことと見える。なぜなら、近代の社会哲学においてヨーロッパの民主主義理念は、ホッブズ、ルソー、ヘーゲルの哲学をその根幹としているからだ。

われわれは、現在、近代政治の本質理論としての民主主義理念の内実を本質的に吟味しなおす必要性をもつが、まさしくその理由で、『法の哲学』の根本的な解読を提示し、その再吟味を人々に促してみたいと考える。