今いるのは深い井戸の底。
悩み、考え、出口を探せ

小林 先生の本の中で興味深かったのは「光と闇」についてのお話です。人間の生命活動には覚醒と睡眠のリズムが欠かせなくて、つまり光と闇があって初めて生きていける。因果論と目的論のお話もそうでしたが、その両者が接して混じり合う場所、「あわい」にこそ大切なものがあると。

稲葉 そのバランスの中にこそ人間性があって、その全体を健やかに保つことが「健康」であると考えています。

小林 私はこの頃「光」というものに大きな関心を持っているんです。オリンピックの聖火や原子爆弾の炎。それらはときにプロメテウスが神から盗んだ火に喩たとえられます。今や人間はそんな炎の光を手にし、神の力を手に入れたつもりになっているのではないでしょうか。そして生や死に関わる領域でも人間は神のような力を欲している。

稲葉 科学という名を使って欲望をドライブさせている感じすらしますね。

小林 「光」に対する欲求はどこからくるのかと考えたとき、やっぱりそれは闇を恐れる気持ちなんじゃないかと思うんです。病も同じで「死にたくない」、「健康でいたい」という欲望が過剰になりすぎて、とにかく病を撲滅したい。病気の原因がわかって治ったら、もっともっとというふうに。でも人間はどんなに頑張っても必ず死ぬんです。なのに、それを避けたい。その限りない欲望が何なのかを突きつめて考えていく作業が今必要な気がします。自分だけが生き残るのではなくて、全体を考えること。利己的な欲望を抑えた上で、じゃあ自分はどんなチョイスをするのか。そこを考えたいんです

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稲葉 僕は人間が作ってきた文明というのはある種、人工的な「山」みたいなものだと思っていて、人はひたすらにその高さや巨大さを競ってきた。でもじつはその山の裏に大きな穴ができていたんです。地面を掘ってその土で山を作ってきたわけですからね。今私たちはその穴に落ちているんじゃないかって思うんですよね。今取り組むべきなのはその穴を埋める作業なんじゃないでしょうか。じつはそれってすごくクリエイティブな作業で、同時に医療的な行為だとも思うんです。飽くなき欲望の末にできてしまった地球や人体の“欠損”を埋めるという。

小林 光を追い求めた末に真っ暗な穴に落ちてしまうというのは皮肉ですね。

稲葉 私は村上春樹が好きなのですが、彼の言葉を借りるなら、今私たちがいるのは深くて暗い井戸の底みたいなところですよ。そこに潜って、それぞれが悩んで考えている状態。そこから各自が横穴を掘って、どこかの深さで誰かと出会う。暗闇の中で人間同士が共鳴するわけです。そういうのがこれからの繋がり方になるんじゃないかと漠然と思っているんです。これまでは浅い場所でなんとなく利害で繋がっていたけれど、違った繋がり方が生まれるんじゃないでしょうか。

小林 暗闇の中に身を置くと恐ろしいし心細いですから、何かを探そうと遠くを見ようとしますよね。「悩む」ということはある意味で広く、遠くを見るきっかけになるのかもしれません。

稲葉 何か困難や辛いことに直面したときを想像してみてください。私は登山をするのですが、疲れたな、辛いなと思ったときは遠くの景色を見るんです。足元ばかり見ていたら余計しんどくなるでしょう(笑)。ずっと先にある山頂に目をやれば、この一歩一歩にどういう意味があるのかがわかる。そうすれば乗り越えていけるんです。それこそ目的論的に、今のこのステップは自分や地球のためにどういう意味があるのかという視点で考えられたら、ステイホームにもちゃんと意味を見出せるはずです。今はみんなでそういう遠い先を見る時期だと思うんです。

小林 さっき先生が仰った「穴」や「欠損」のお話ですが、コロナも含めて私たちはその穴をすごく簡易的に埋めてきたような感じがしていて、「ハイ、戦争の穴はもう埋まりました!」「震災の穴もコロナの穴ももうOK」みたいな感じ。それでその上に新しい街やオリンピックを作っていく。でもそれは簡易的なものであって、穴は変わらずそこにあるんです。

稲葉 この世界で要領よく生きている人っていますよね。いわゆる世渡り上手な人です。これまでそういう人たちはその落とし穴を上手に回避して歩いてこられたんです。いっぽうで純粋で真面目な人たちはそこにズボッと落ちちゃう。だからこそ戦争でも震災でも穴の中できちんと悩み、考えてこられたわけです。でも今回のコロナの穴は巨大で、要領のいい人もさすがに回避できなかった。何が言いたいかというと、みんなが穴に落ちたことで、これまで悩んできた人たちの心をやっと本当に分かり合えるきっかけをもらったんだと思うんです。これまで感受性の強い人たちだけが考えて苦しんできたいろいろな問題に対して、全員が現実味を持って「自分ごと」として捉える機会になったと感じます。「こんなところに穴があったなんて知りませんでした」じゃ済まされないところまで来てしまったんです。