天児 じつは私自身、読者としてこのシリーズを読んで、たいへん面白かったんですね。日本人にとって中国の歴史というのは基本的に王朝の交替史で、その間に農民一揆とか反乱が起きてという、単純なタテ軸だけで認識されてきたわけです。
しかし、このシリーズは王朝交替史を否定してはいないけれども、その王朝と王朝の間にある、あるいは王朝の外にある多様な要素を取り込みながら、それぞれの新しい時代像を描きだしている。
ですから、たとえば唐の時代ひとつ見ても、政治的にも文化的にも女性の存在感が強かったりして、ああ、こんな時代だったのかという新しい発見がずいぶんありました。
鶴間 やはり最大の特色は、各巻の執筆者がそれぞれの問題意識と最新の研究テーマを盛り込んで「中国とは何か」という難問にいろいろな角度から迫ったことですね。
考古学では1990年代以降に盛んになった日中共同の発掘調査の成果がありますし、騎馬遊牧民や周辺諸民族の世界の重視、ブローデルやウォーラーステインといった西洋史の見方をあえて取り込んだ考察などは、新しい視点ですね。さらに文学や思想史の研究者が一冊を担当した巻もあります。
天児 各巻の執筆者の問題意識に共通する試みとして「普遍的な中国を描く」、それからこれが中国では乏しい視点ですが、「周辺国との歴史のつながりを描く」というのがありますね。
そうした試みの結果、全体として新しい中国史を浮かび上がらせていて、これは大きな成果だと思います。完結から15年たっても、まったく古くなっていないですね。
天児 シリーズを再読して、中国の多様性というものをあらためて認識させられましたが、これは単にいろいろな要素が中国にあるというだけじゃない。それらの要素を包み込んでいく「大きな袋」があって、その袋が中国だということです。
これはこれからの中国を考えるうえでも重要な点だと思うのです。いま私たちは中国について、習近平体制は独裁政権で自由がないとか表面的なところだけを見て言っていますが、じつはそれだけでは中国という国はわかりません。
もっと底の深いふくらみというか、そういうものがこの国にはあって、それを頭に入れておかないといけない。そうしたものは、まさに過去の歴史から見えてくるものなんですね。
鶴間 この15年の中国の歩みが急速で予測がつかなかったのは、私は当然だと思うんです。中国はどこへ行くかわからない多様性をもっているからです。いろいろな要素をもっていて、それゆえにどこへ国が動いていくかわからない。
同じことは日本をはじめ他国についてもいえますが、中国の場合、そのスピードとスケールが違います。ですから、われわれ日本人は中国に対して、どうしてもある固定観念で見てしまいますが、じつは中国にはいろいろな流れがあって、この先どう動いていくかは決めつけることができない。
いろいろな力が働くなかで結果として中国はある方向へ動いていく。過去の歴史を見ても、まさにそうやって動いてきているのがわかります。
天児 それも中国自身、これからどうなっていくか予測がついていないでしょう。かつて鄧小平の時代に貧しい中国から脱却すべしと金儲けに走り、ある程度豊かになったところで天安門事件が起きた。
その後遺症をなんとか癒しながら、胡錦濤や温家宝の時代に緩やかな民主化を求める動きになり、中国にも市民社会というものが生まれはじめていた。
ところが、このまま市民社会が発展していくと共産党体制が揺らぎかねないと中国共産党のリーダーたちは気づいたんですね。その代表が習近平で、こんどは一転して民主化を徹底的に抑えつける独裁体制をつくった。
ただ、この体制がずっと続くかというと、それはわかりません。だから、いまの中国を見て、この国はこうだという固定観念でとらえるのは危険です。つねに変化しながら、それでいて伝統的な呪縛みたいなものに引きずり込まれていく。大きくとらえると、どうも中国というのは、それを繰り返しているような気がしますね。