武家社会の起点となった鶴岡八幡宮(photo by iStock)

2022年大河ドラマ時代考証者が探究「北条義時は何をしたのか?」

鎌倉幕府成立年論争は些末なこと

2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は北条義時である。ドラマで彼がどう描かれるかはさておき、歴史学の立場からの評価を解説しておきたい。

教科書的には「北条政子の弟で、承久の乱の時の鎌倉幕府執権」といったところだろう。しかし私に言わせれば、北条義時は「鎌倉幕府、ひいては武家政治を完成させた男」である。

 

「イイクニ」ではなく「イイハコ」?

北条義時が鎌倉幕府を完成させた男だと述べたが、そもそも鎌倉幕府はいつ成立したのだろうか

年配の方なら「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」という語呂合わせを覚えたのではないだろうか。少し歴史に詳しい人なら「最近はイイクニではなくイイハコ(1185)に変わった」と言うかもしれない。

1192年とは、源頼朝が征夷大将軍に任官した年のことである。通常、幕府のトップは征夷大将軍であるから、この年に幕府が成立した、という説は分からないでもない。だが幕府のトップは征夷大将軍である、征夷大将軍に任官して初めて幕府を開くことができる、という理解は後世に生まれたものである。

一般にはあまり知られていないが、実は頼朝は1194年ごろに征夷大将軍を辞任している(ただし朝廷は辞任を認めなかったようである)。これによって頼朝が鎌倉幕府のトップでなくなったのだろうか。鎌倉幕府は消滅したのだろうか。

もちろん違う。征夷大将軍がいなくても鎌倉幕府は成り立つし、征夷大将軍を辞任しても頼朝は「鎌倉殿」、すなわち鎌倉幕府のトップである。

『鎌倉殿の13人』の脚本は三谷幸喜氏が務める(photo by gettyimages)
主演・北条義時役を務める小栗旬(photo by gettyimages)

また1199年に源頼朝が亡くなると、嫡男の頼家が跡を継ぐ。しかし頼家が征夷大将軍に任官したのは1202年である。その間、幕府は存在しなかったのだろうか。

当然そうではない。頼家は頼朝が亡くなった直後に、その後継者としての地位を朝廷から承認されている。頼家は頼朝の死を受けて鎌倉殿の地位を継承しており、征夷大将軍任官は必須ではなかった。

さらに、最近発見された『三槐荒涼抜書要』という史料によって、頼朝は必ずしも征夷大将軍の職にこだわっていなかったことが判明した。したがって、頼朝の征夷大将軍任官をもって鎌倉幕府の成立とみなす説は根拠薄弱である。

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