2020.12.13
# 経営者

バブル直撃後、V字回復した「大和証券」は他社と何が違かったのか?

大和証券グループ本社、中田誠司社長に聞く
大塚 英樹 プロフィール

熱意が創業者・稲盛和夫を動かす

2つ目は、94年11月のDDI(現KDDI)の公募増資である。当時、株式市況はバブル崩壊後で低迷、大型増資の環境としては最悪だった。しかし、中田はあきらめずに、プレゼンテーションを繰り返し行った。

やがて創業者の稲盛和夫は、「相場が悪くても、良い銘柄なら売れることを示そうじゃないか」と増資を決定した。中田の熱意が稲盛を動かしたのである。

この公募増資はバブル崩壊後、最大の資金調達となり、発行登録制度(発行会社が有価証券の募集・売り出しを機動的に実施できるようにするための制度)の第1号案件でもあったため、新聞に大きく取り上げられ、中田の名前は業界で知られるようになった。

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さらに、中田が常識を覆したのは、上場企業の非幹事証券会社が主幹事の座を奪取したことだ。主幹事の逆転である。

95年前後、中田は、大和証券が非幹事証券会社だった東芝、アサヒビール、ANA、三井不動産などを担当した。それらの企業に食い込み、資金調達の案件で、次々と主幹事の座を獲得した。それは大和証券初のことだった。

このほか、日本酸素が発行するユーロ円普通社債100億円の引き受けでも、非幹事証券会社にもかかわらず、中田は主幹事を獲得する。

また、中田は燃料商社、シナネン(現シナネンホールディングス)が発行した7000万エキュー(ユーロの前身)建て新株引受権付き社債の引き受けでも、主幹事の座を射止めた。エキュー債の主幹事は大和証券初のことであった。

それまで野村、日興、山一が数回務めていたが、大和には実績がなかった。それだけにエキュー債の主幹事獲得は社内では快挙として受け止められた。

 

その後、中田は社長に就任するまで、リート運用会社を買収し、リート事業の道筋をつけたり、新規にネット銀行を立ち上げるなど、次々と新しいことに挑戦する。

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