子どもが小5のとき夫から離婚を切り出された

「41歳のとき、夫から『別れてほしい』と言われて、離婚することになりました。正直、別れたくなかったです。一人になるのは怖かった…」と、岡田とも美さん(仮名・48 歳)。
夫婦仲がうまくいかなくなり、少し距離を置くために1年別居した後の夫の結論が「離婚」だった。当時、子どもはまだ小学5年生。とも美さんは、扶養内で働くパート主婦。不安しかない状況。しかし、夫の決心は固いようである。

結婚は、両性の合意のみに基づいて成立すると、憲法で定められている。ということは、どちらかがいやになったら、離婚を申し出る自由もあるということだ。もちろん、結婚したからには一定の責任はあるが、「いやだ」というものを責任という言葉だけで縛りつけておくことはできない。
とも美さんは、泣く泣く離婚を受け入れた。

離婚したくない理由はその人の数だけあるだろうが、当然ながら「経済的な理由」はとても大きい。今回、ライターの上條まゆみさんがお話を聞かせいただいた岡田とも美さんも、その一人だった。養育費をもらっても生活費は足りず、母子ともども辛い状況になったとき、とも美さんが乗り越えられたのはなぜだろうか。
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病に倒れてから関係が変わった

「うまくいかなくなったのは、私が元夫の価値観を理解してあげられず、自分の価値観を押しつけてしまったからだと思うんです……」
とも美さんと元夫は、高校の同級生同士。社会人になってから付き合い始め、28歳で結婚し、30 歳で子どもが生まれた。

「私は臨床検査技師としてフルタイムで働いていて、元夫は自然科学系の学術雑誌の編集者。いわゆる友だち夫婦で、精神的にも経済的にも対等な関係でした」

それが33歳のとき、とも美さんが病に倒れてから、2人の関係が崩れ始めた。
「風邪をひいたことがきっかけで、ギラン・バレー症候群になってしまったんです。ギラン・バレー症候群というのは、末消神経に障害が起こり、手足などにしびれや麻痺が起こってしまう病気。当初は、自分で食事をしたり、髪をとかしたりもできないほどの重症で、当然、仕事は辞めざるを得ませんでした」

仕事以前に、普段の生活にも支障をきたすほど体調を崩してしまった(写真の人物は本文と関係ありません)Photo by iStock

2年間くらいリハビリをして、病は克服。しかし、過度の疲労やストレスなどは避ける必要があり、子育てとの両立も考え、とも美さんは扶養内のパートで働くことにした。
「療養中、元夫は私を支えてくれましたが、大変だったのだと思います。ようやく治って、以前のような暮らしに戻れると思ったら、私はパートタイマーに。元夫としては、がっかりしたのかもしれませんね。言葉の端々に『養ってやっている』という思いが透けて見えるようになりました」