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大統領選で真っ二つのアメリカ、「分断」から何が生まれるのか

「歌」という視点から考えてみると…

民主主義のあり方が問われつつ、驚きの連続だった2020年のアメリカの大統領選挙。選挙運動期間中は共和党と民主党の噛み合わない対立がクローズアップされた。

開票作業の間は両陣営の小競り合いが報道され、武装した若者の集団が深夜の街でデモンストレーションを行うなど、不穏な動きも報告されていた。

投票結果が出た後は(トランプ氏は結果が出たとは認めなかったが)、報道の画面はバイデン氏とトランプ氏の2人の写真に分割された。

人々の間でコミュニケーションへの希望が急激に衰弱する一方、フィジカルな力の主張が勢いを増していくという状況は、平静だった人々にも恐怖と不安をもたらした。

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「分断」というキーワードが繰り返し報道された選挙戦で、私が考えていたのは、分断されたものの接線で生まれる文化のことだった。

アメリカ国内の分断が危機的に表面化したのは、およそ160年前の南北戦争を別にしても、もちろん今回の選挙が初めてではない。

例えば、60年代の公民権運動の時も、現在進行形のブラック・ライヴズ・マター運動でも、報道は、運動への賛同者と反発する人々との衝突や厳しい対立を先鋭化して提示してきた。

ところが「分断」の切れ目とは、バイデン氏とトランプ氏の写真で半分ずつ画面を分けるように、すっきりしたものではない。

今でもアメリカ国内では、同じ家族の中に正反対の立場の人間がいて、異なる考えを抱きつつ同じテーブルで同じ夕食をとっている。

たとえば私の友人は民主党支持で、彼女のご両親は熱心な共和党支持者だ。新しい文化は、そういう不快な緊張から生まれる。歌はその代表格である。