「毒親」という言葉がある。「毒」とまで言わずとも、「なぜこんな嫌なことを言ってくるの?」「なぜこんなことするの?」と親の謎の行動に悩む人は少なくないのではないだろうか。では、もしそれが「義理の親」だった場合はどうなるだろうか。望んで結婚した夫婦だって、「家族」として分かり合うにはお互いへの思いやりやコミュニケーションが大切だ。できる限り歩み寄り、それでもどうしようもないときも時にはあるだろう。それが「義理の親」となると、問題はさらに複雑になってくる。

上松容子さんは一人っ子として育ったゆえに、自分の母や未婚の伯母も介護してきた体験を「介護とゴミ屋敷」という連載で伝えてくれた。ただ実は、義理の母親の問題にはそれ以前から悩まされていたのだ。夫の母ゆえにきちんと付き合いたいと思い、違和感を抱きながらも日々起こる謎の問題になんとか対応していくしかなかった。闇の中を手探りするようなその過程を伝えていき、実は多くの人が悩んでいるといわれる「義理の親」問題を考えていく新連載「謎義母と私」、第1回は初めての出会いから抱いた「違和感」についてお届けする。なお、個人が特定されないように名前は仮名としたドキュメンタリーである。

容子    20代後半で結婚
夫     容子と同い年。営業職
義父       東京近郊在住 大正生まれ 中小企業社長
義母トミ子 昭和ヒト桁生まれ 元看護師 専業主婦

夫に抑圧される「健気な妻」

色白でささやくような小声、いつも薄く微笑んでおり、夫に従順で大人しく働き者の専業主婦……。私が結婚前の20代半ばのころ、のちに義母となるトミ子に初めて会ったときの印象である。当時の義父は、マスコミ系企業の子会社の雇われ社長だった。

実際、初めて会ったときもその後も、夫の実家で見るトミ子はくるくるとコマねずみのように働いていた。義父に呼ばれればハイハイととんでいき、注文にこたえる。なにやかやと息子の世話を焼く。居間に落ち着いて座るのは、夜遅くなってからだった。婚約期間中にそのような義母の姿を見て感嘆しつつも、私にはこんな生き方はできないとげんなりしていた。

双方の両親を対面させるにあたって、もちろんおいしいものを食べながらのほうがいいだろうと、御茶ノ水「山の上ホテル」にある天ぷら店を予約した。義父は仕事柄、こういう店には慣れているから、特に気負う風もなく入ってきた。義母はその後ろからおどおどとついてきた。

高級天ぷらとはいえ、和やかに会話できればと思っていたのだが(写真はイメージです)…Photo by iStock

料理を待つ間、私の両親と義父がしゃべっており、義母は口角を上げたまま黙っているが、目がちらちらと義父の方に動く。義父の顔色を伺っているようだ。母が気づいて義母に話題を振った。

「お母様、ご趣味はなにかおありですか」
義母は「いいえ、私は特には……」とうつむく。

「子どもたちがもう自立するわけですから、お好きなことをなさっては? 私なんか、体操とか洋裁とか書道で、夫を置いて出かけちゃうんですよ。お昼ごはんとか、あなた自分で作るわよね?」
父は「そうそう。チャーハンとかね」と軽く答え、母はケラケラ笑う。
「はあ……」
義父は豪快に笑う。義母は当惑したように微笑む。堂々とした夫、控えめな妻。見るからに夫唱婦随、妻が三歩下がって夫についていくタイプの夫婦である。義父は、外で義母が自由にしゃべることを好ましく思っていなかった。当時はその理由がまったくわからず、義父は強引な男という印象しかなかった。