勝手にジャッジされるのはおかしい

なんやかんやいって、見た目で印象が変わるのはたしかだ。努力でどうにかできる部分もあるし、どうにもならない部分もある。

人前に出れば勝手に「容姿」という土俵に立たされるわけだから、容姿に関連するトピックに過敏になるのも理解できるし、過度な見た目主義を警戒するのもわかる。「良い見た目の人が得をすると、相対的に良い見た目でない人が損をするから、ルッキズム助長になる。だからやめよう」。これもまた気持ちはわかる。

でも、だからといって、ミスコンのように容姿を強みに戦うことを否定するのは、ちょっとちがうんじゃないだろうか。問題は、キレイな人がそれを強みにすること自体ではなくて、その土俵で戦う気がない人に対して第三者が「キレイになれ」と強制したり、「もっとこうすべき」と押し付けることだと思う。

本人たちが望んだうえで行われるミスコンは、たとえば「学内美人ランキング」のように、当人たちが知らないまま第三者が容姿で格付けすることとは大きく異なる。だってその人たちは勝手にジャッジされていて、容姿で戦うことを望んでいないから。

プロ棋士や陸上選手のように「美」という武器で戦っていない人を、「美人すぎる○○」と評するのも的外れ。その人たちの武器は容姿ではないから。

わたしは、ミスコンの存在自体は否定しない。「美」という武器で戦いたい人は、「容姿」という土俵のなかで思う存分戦えばいい。でもその土俵で戦う意志がない人を、第三者が勝手にその土俵に放り込むのはやめようよ、とそれだけである。

ミスユニバース2019。勝者の誇らしい表情も美しい。主観で決められうるからこそ、差別があることもあった。そのような歴史も「容姿での競争」への不信感につながったこともあるだろう。ただそれが、「美」という武器で戦うことすべてを否定することとは別に考える必要があるのではないだろうか Photo by Getty Images