ミスコンの在り方が問われる時代

東大のミスコン候補者が運営のセクハラを告発したことをきっかけに、改めてミスコンのあり方が問われている。「容姿で人を格付けするのってどうなの?」という疑問は、とても現代社会らしいといえるだろう。

モデルの写真を加工せず載せることが健全性アピールになり、整形大国といわれる韓国エンタメ界でも一重で整形をしないスターたちが出てきている。  「一方的な美の価値観」を求められることに対する嫌悪感や抵抗感が大きくなる一方で、自分らしい見た目を選ぶ人が支持されているのだ。

そんな流れのなかで、ミスコンが「時代遅れの遺物」として槍玉に挙げられるのも、当然といえば当然かもしれない。

しかし本来ならば、美しい容姿はその人の強みのひとつでもあるはず。それを褒めたり、認めたり、評価することも、「悪いこと」なんだろうか? 「美」という武器をもっている人がそれで戦うこと自体をも、否定してもいいのだろうか?

美を武器にしてはダメなのか

さて、容姿決定戦であるミスコンについて、あなたはどう思っているのだろう。
「ルッキズムを助長する悪いもの」派? 
「別にいいじゃないか」派? 
「どうでもいいよ」派?

わたしはというと、「別にいいんじゃないか」派だ。というのも、ミスコン候補者はみずから容姿を武器として、「見た目」という土俵で戦うことを選んだ人たちだから。そして「見た目」とはほかの才能と同じように、単に生まれながらのものだけではなく、様々な努力や内面もふくめて磨かれるものだからだ 。

ミスユニバース2018。容姿のみならず、スピーチや特技など様々なアピールをする形に変化している Photo by Getty Images